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第六章 中世後期の宗教と文化
   第二節 仏教各宗派の形成と動向
    三 念仏系諸派の活動
      顕密諸寺庵伝承
 寺院所蔵の史料には、必ずといってよいほど由緒書・縁起・書上といった伝承記録類がある。この種の伝承記録類に記される寺院草創伝承は、在地系と流入系とに大別される。在地系の由緒で典型的なものは、天台・真言の顕密寺社の門弟・弟子だった人物が、親鸞・覚如以下の本願寺歴代あるいは高田の顕智らに帰依したと記するものである。
 在地系寺院の伝承には、その前身が「太子堂」「来迎堂」「念仏堂」「薬師堂」などであったと記されている例が多々見受けられる。「太子堂」を前身とするものには、古刹である美山町折立称名寺や本願寺派の福井市中角光福寺・金津町六日永宮寺が(資2 天理図書館 保井家古文書五号、「光福寺血統譜」『越前若狭一向一揆関係史料集成』以下『越前集成』と略、『細呂木村誌』)、「来迎堂」を前身とするものには福井市上森田厳教寺がある(元禄ごろ成立の「由緒」)。また「念仏堂」を前身とするものには遠敷郡上中町福乗寺が(『上中町郷土史』)、「薬師堂」を前身とするものには高田派の芦原町新郷専光寺(廃絶)や上中町熊川得法寺が知られる(「新郷山専光寺安養院系図」、「霊法略縁起」『越前集成』)。おそらく白山信仰の拠点として著名な平泉寺・豊原寺や越知山大谷寺などの有力寺社の末寺・子院・堂舎・村堂・村社・草庵に身を置く者が、同じ阿弥陀仏信仰ということで、善光寺聖や真宗系の高僧などと中世の各時期を通じて一時的・断続的に接触し、徐々に特定の門流に所属するようになったというのが実情であろう。なお時宗からの改宗伝承例はほとんどみられない。



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