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第六章 中世後期の宗教と文化
   第二節 仏教各宗派の形成と動向
    二 禅宗諸派の展開
      三万谷深岳寺と一乗谷の文化
 朝倉氏は、禅宗においては曹洞宗宏智派をはじめとする五山派と永平寺系曹洞宗を深く外護したが、永平寺系曹洞宗とともに林下に属する大徳寺系の禅とも交流をもった。深岳寺は一休宗純の弟子の祖心紹越が一乗城山の東北麓にある足羽郡宇坂荘三万谷の福松に建立し、開山を一休とした禅寺である。紹越は朝倉孝景(英林)の弟の経景の子であって、一休のもとに参じた人物である。紹越は一休にゆかりのある酬恩庵(京都府田辺町)や大徳寺内真珠庵に住したが、越前に帰って深岳寺を開いている。同寺にて永正六年に一休の三十三回忌の法要を営んでいるので、それ以前の成立ということになる。この法要には朝倉貞景も臨席している。また紹越は、酬恩庵・真珠庵の塩噌銭(毎年一〇貫文)は越前から運上することを約束している(資2 真珠庵文書五二号)。深岳寺のあった位置が一乗谷からさほど遠くないことも考え合わせると、深岳寺が一乗谷文化に果たした役割は大きいものであったと推察される。



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