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第六章 中世後期の宗教と文化
   第二節 仏教各宗派の形成と動向
    二 禅宗諸派の展開
      曹洞宗宏智派の展開
 越前の十刹弘祥寺と諸山善応寺は、ともに別源円旨を開山にもつ曹洞宗宏智派の寺院である。同じ曹洞宗ではあるが永平寺系曹洞宗が京都・鎌倉以外の各地に展開した林下に属したのに対して、五山派として展開した一派である。他の五山派がすべて臨済宗であるなかでは特異な門派であったといえよう。日本の宏智派は東明慧日が延慶二年(一三〇九)に渡来したのに始まる。肥前国の善光寺、肥後国の寿勝寺を開き、北条貞時の外護を受けて鎌倉の建長寺や円覚寺に住し、円覚寺内に白雲庵という塔頭を構えた。東明の門弟の別源円旨は康永元年(一三四二)朝倉氏に招かれて越前に活動し、同じ門弟の不聞契聞は白雲庵を守った。観応二年(一三五一)には東明の法姪の東陵永や建仁寺の住持となり、建仁寺内に洞春庵を開き塔頭とした。
写真284 別源円旨画像

写真284 別源円旨画像

 また別源の門弟の玉岡如金は建仁寺内に新豊庵を建て洞春庵とともに門派の拠点とした。建仁寺には大慧派に変わってからも深い関係にあった中岩円月の妙善庵なども存在し、宏智派は一つの勢力を形成した。
 宏智派は洞春庵には三条家、新豊庵には飛鳥井家などの外護を受け、越前では別源が朝倉広景の外護を受けて弘祥寺を開山し、さらに善応寺・吉祥寺を開山している。広景の子高景の養子で実は高景実弟松尾宗景の子で別源の門弟となった紫岩如琳が大孝寺を開くと、その後も教景の子の月浦宗掬・仙隠宗華、孝景(英林)の兄弟の聖室宗麟・玉岩光玖・宗階など、朝倉一族から宏智派の禅僧になる者が少なくなかった。また含蔵寺・護田寺・子春寺など、宏智派の寺院が建立されている。
 宏智派は、別源も東明の門弟となったのちに入元しているが、そのおりに漢詩文で知られた古林清茂に参じたこともあり、その他の人物でも入元する者が多く、漢詩文をもって知られた人びとが多く存在したことから他宗派の文学僧との交流もみられた。特に永正年間(一五〇四〜二一)臨済宗中峰派の月舟寿桂という禅僧が一乗谷に来て、宏智派の寺院であるにもかかわらず、弘祥寺や善応寺などの住持になっているのである。医者の谷野一栢、儒学者の清原宣賢や高辻章長、連歌師の宗祇や宗長なども一乗谷を訪れており、同地の文芸の水準は高まったが、その中心にあったのが宏智派の僧侶や寺院であったといっても過言ではない。宏智派は越前では朝倉氏の滅亡とともに衰退したが、同氏の領国時代の宗勢には相当なものがあったといえる。



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