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第六章 中世後期の宗教と文化
   第二節 仏教各宗派の形成と動向
    一 天台・真言系寺院の活動
      越前の天台・真言系寺院
 室町中期に越前に所在した天台・真言系寺院について、文安二年(一四四五)の東寺修造料足奉加人数注進状によってみてみると(ヌ函一一二・一四一〜一四八・一五〇〜一五三・一五七・一六三・三一五〜三一七・三二三・三二五)、寺院数とその僧侶数は表65のようになる。奉加額からみて、坂井郡豊原寺が越前の天台・真言系寺院の中心に位置し最大の勢力を誇っていたことがうかがわれ、またこれらの寺院とこの奉加人数注進状にみえない丹生郡大谷寺・大野郡平泉寺を合わせた寺院が天台・真言系の寺院であったと考えられる。そして、例えば今立郡大滝寺の奉加人数注進状に「右此寺は、顕宗在所たりといえども、御勧進に依り内々心落し、形の如く挙げて奉加せしむるものなり」と記されるように顕教系の寺院も奉加したようだが、ほとんどは密教系の寺院であった。表には五六か寺がみえ、このうち七か寺が末寺を有しており、末寺数は五二か寺であった。これらの寺院の僧により計一二三貫一〇〇文が奉加されたのであった。

表65 文安2年東寺修造奉加に応じた越前の寺院

表65 文安2年東寺修造奉加に応じた越前の寺院

 この文安二年の奉加人数注進状によれば、丹生郡真光寺の末寺として五か寺が、足羽郡大惣持寺の末寺としては九か寺が、坂井郡滝谷寺の末寺としては六か寺が知られる(ヌ函一四五・一五〇)。その滝谷寺は、国内にとどまらず他国にまで勢力をのばし、加賀国慈光院や因幡国摩尼躰寺・観音寺など二二か寺と本末関係を進めていた(資4 滝谷寺文書二号)。これらのことから、真光寺・大惣持寺・滝谷寺などの有力寺院は国内・国外に末寺を有していたことがわかる。また滝谷寺については、因幡などに赴くなど日本海を自由に航行していた勧進聖衆の活動が推定される。



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