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第五章 中世後期の経済と都市
   第一節 産業・交通の発展
    四 銭貨の流通
      和市の成立
 貨幣経済の発展によって代銭納が一般化するようになり、地方の市場で貢納物の売却が頻繁になると、そこに米の相場である和市が成立した。例えば太良荘の場合、農民は米で年貢を納め、それを受け取った代官が流通・金融の中心地小浜で米を銭に換えて荘園領主に銭納したと考えられる。したがって、代銭納が一般化するなかで和市は荘園領主にとって荘園支配における重要な問題となり、正長二年(一四二九)以後の代官職請文のなかに、和市のことが「御代官の一大事只これに在るか」と特別に重視されているのである(ハ函一五八)。すなわち代官の重要な任務に、和市を正確に報告することや、米を高い値段で売却するためにいつ米を売るかを売人(商人)に尋ねることなどがあった。例えば康正元年(一四五五)、代官中尾幸聡が東寺から和市を偽ったとして罷免され(ヱ函一八四)、翌二年には代官の報告と農民の報告した和市の違い目が報告されている(ハ函二八八)。このころの荘園支配は代官請負制が普及し(三章四節二参照)、荘園領主はもはや荘民の実態を把握することよりも荘園の年貢納入決算書である散用状(算用状)の数字のみに関心を寄せるようになっており、それゆえ代官の和市に関する不正に神経質になりはじめたのである。
 太良荘の和市と越前・若狭の和市を表56(表56 遠敷郡太良荘の和市一覧)・57(表57 越前・若狭の和市一覧)に掲げたが、散用状に記載された和市は売却価格であって商人の販売価格とは実態を異にするものであり、必ずしも事実の報告ともいえない面が見受けられる。しかし、この表によって一般的な価格変動の傾向はうかがえるであろう。



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