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第五章 中世後期の経済と都市
   第一節 産業・交通の発展
    四 銭貨の流通
      室町期の貨幣
写真250 銭の出土状況(一乗谷朝倉氏遺跡)

写真250 銭の出土状況(一乗谷朝倉氏遺跡)

 室町期になると銭貨の流通はいっそうの発展をみせ、銭貨の需要はますます高まった。しかし天徳二年(九五八)に最後の乾元大宝が造られた皇朝十二銭以来、国内で銭貨が鋳造されなかったため、中国からの渡来銭または私鋳銭がその需要をまかなうことになった。流通貨幣の種類を朝倉氏の城下町である足羽郡一乗谷から出土した銭貨についてみると、北宋銭が二万枚あまり出土し、全体の八〇パーセント近くを占める。ついで唐銭や明銭が少ないながら出土している。宋銭のなかでは、皇宋通宝・元豊通宝などが多い。さらに、明銭では洪武通宝(洪武銭)が最も多く、ついで永楽通宝(永楽銭)が多い。日本における標準的な明銭として広く流通したものは永楽通宝であるが、一乗谷において絶対量がさほど多くない理由に、洪武銭が十四世紀後半の鋳造であるのに対し、永楽銭は十五世紀前半から鋳造されたために日本に輸入された時期が遅れたという事情があり、また日本で用いられた当初は今銭(輸入されたばかりの銭貨)として撰銭(悪貨として請取りを拒否すること)の対象になったことがあると考えられる。幕府は「根本渡唐銭」として永楽・洪武・宣徳通宝の撰銭を禁止している。しかしその後もこれらの銭が撰銭の対象となっていたらしく、、幕府の天文十一年(一五四二)四月八日付の撰銭令では、永楽銭などの撰銭が禁止されている(『中世法制史料集』二)。



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