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第五章 中世後期の経済と都市
   第一節 産業・交通の発展
    一 諸産業と職人・商人
      桧物師と木地師・轆轤師・塗師
 桧物はヒノキの加工品である。ヒノキは建築材として最高級で、また加工性が良いので大小の器物の材料とされた。そうしたヒノキ製の器物の細工に携わった職人が桧物師である。曲物容器や折敷が桧物の代表例である。折敷は白木の膳で非常に簡素なものであるが、古来土器とともに神事や儀式に食膳具として大量に消費された。このため古くから国衙や大きな神社などでは桧物・土器の給免田を設定してその生産を確保した(ユ函一二、「気比宮社伝旧記」)。また、ケヤキ・ブナ・トチノキやその他の雑木も木製品の材料に多用され、漆器などにも用いられた。漆器の生産には多くの工程があり、木地の大まかな加工や刳り物を木地師が行ない、轆轤を使う挽物を轆轤師が行ない、そして最後に漆を塗る塗師という具合に分業体制が形成された。
写真236 中世の檜物師(「七十一番職人歌合」)

写真236 中世の檜物師(「七十一番職人歌合」)

 今立郡鞍谷轆轤師たちは府中惣社の両度の諸役を勤めていた(資6 大河内区有文書二号)。また南条郡の宅良・三尾河内の木地・山衆たちは府中町で木地・引物等二季津役を負担していた(資4 浄光寺文書二号)。これらのことからみて、彼らは府中惣社をいわば本所とする職人集団であると考えられている。こうした職人たちは次第に府中惣社の統轄を離れて朝倉氏と結びつき、惣社神領あるいは惣社支配集団について独自の支配権をもったとみられる府中両人(府中奉行人)からもその地位を安堵されて、山における生産活動と広域的な販売権を保証されていった。



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