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第五章 中世後期の経済と都市
   第一節 産業・交通の発展
    一 諸産業と職人・商人
      衣料の生産
 中世の基本的な衣料としては、布・絹・綿を挙げることができる。布は麻布類のことで、麻の繊維分を精製して束ねた苧から紡ぎ織られる。この苧も半製品として流通し貢納された。越前産の苧の種類と名称もいろいろとみえ、産物として重要だったことがうかがえる。坂井郡河口荘では蒔苧・白苧がみえ、敦賀郡気比荘では皮剥苧・白苧が領家に貢進され、そのほか大野郡小山荘・丹生郡織田荘では唐苧、大野郡井野部郷では青苧などの名称が知られ、それぞれの荘園領主のもとに貢進された(「河口荘諸済物収納帳」、資2 天理図書館 保井家古文書五号、醍醐寺文書三八号)。中世の布生産の実態については未詳であるが、戦国期になると技術も向上し、越前では十九布とよばれる極めて緻密な織りの布が作られた(資9 浄土寺文書五号)。この十九布は一幅の径糸が七六〇筋(機では二重になっているので合計一五二〇筋)という極めて細く美しい布だといわれる(「貞丈雑記」)。 

表53 越前の荘園年貢にみえる繊維品

表53 越前の荘園年貢にみえる繊維品

次に絹は養蚕の産物で、綿はその副産物である。中世越前では広く桑が栽培され、蚕が飼われていた。康永元年(一三四二)朝倉広景が創建した足羽郡弘祥寺の十境の一つに「万桑里」がある。これは中国の天童寺の十境の「万松関」をもとにして作られたものであろうが、日野川と足羽川の合流地一帯に広々とした桑畠が点在している様子を想像することができる。養蚕の実態についても詳らかではないが、後述するように蚕種商人も活躍しており、高度な品質管理がなされていたようである。綿は呉綿・御服ともいい、真綿のことである。糸にならない屑繭から作られ、主として冬季の衣服の綿入れ用として重宝された。越前の荘園年貢にみえる衣料の大部分は綿で、なかでも長講堂領の坂井郡坂北荘の年貢呉綿一万両は全国でも第一級であろう。このように越前で衣料生産がさかんだったことがうかがえる。なお木綿については弘治二年に若狭で流通していたことが知られるが、現地で生産されたものかどうかはわか らない(資9 明通寺文書一三九号)。



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