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 第四章 戦国大名の領国支配
  第五節 越前一向一揆
     三 禁制下の一向衆
      由緒書にみる禁制下の世界
 永禄末年の禁制解除後、越前教団は急速に復興した。亡命寺院の復帰とあいまって、それを迎え入れる多数の門末の永続的な営みがあったからである。ただ国内の無名・無数の門末がどのように存在していたのかという具体例は、為政者側の文書類からは何一つみられない。その具体像は由緒書・縁起類のなかに散見される。狭義の歴史史料である文書類以外に、法物類・典籍(御文)類に加えて、由緒書にも注目してみよう。
 まず亡命ののちにひそかに帰国したことを告げる例として、「了海住持ノ頃、当国一揆ノ兵乱ニアヒ、加州菅谷ト申山中ニ隠ルコト五年、事静マリテ後再ヒ当国砂子田村ニ帰住」と記すものがあり(「徳勝寺由緒書」、「浄因寺由緒代々記録」)、禁制期に新たに真宗に帰した例として、「弘治元年奉当流ニ帰依シ(中略)教覚院(天台宗)ヲ則浄土真宗ノ導場トス」と述べる由緒書がある(「来迎堂厳教寺系図」)。神職をやめて、実如から本尊を下されて俗道場を始めたという由緒書もある(金相寺所蔵「当寺由来之事」)。また、形式的に他宗派に属しながら本願寺の教えを守っていたという例も注目される。例えば「蓮光寺記」(文政元年成立)によると、実如・証如・顕如の時代は高田派に属しながらも本願寺の御文を用いていたと述べる。これらの記載は史実的に不確定さはあるものの、生なましい禁制下の動向が描かれており、確かにこのような可能性も想定できるとうなずける諸例が少なくない。



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