目次へ  前ページへ  次ページへ


 第四章 戦国大名の領国支配
   第二節 朝倉氏の領国支配
     五 朝倉氏の農民支配
      内徳収納者
 朝倉氏領国制下において、耕地(田地・畠地)と作職農民を基本的に掌握していたのは内徳収納者であった。史料の制約により給人については明らかでないので、ここでは寺庵の例として織田寺玉蔵坊を例に挙げよう。玉蔵坊は正本四分一名・有次四分一名・安次八分一名の名主として本役を負担しなければならなかったが、内徳分については朝倉氏から支配を認められていた。永禄元年の年貢納帳によると、玉蔵坊は「壱反 分米壱石弐斗五升 作西ノ左衛門二郎」「壱所 百文 作太郎三郎」と記される田畠の作人から分米(段別平均一・二七石)・地子銭などを収納し、名主として本役米銭・公事銭などを負担していた(資5 北野七左衛門家文書四号)。その収納分と下行分(負担分)は表44に示したが、米収納分では一七石余の内徳があったものの、銭収納分では一貫文余が不足したため米収納分内徳から補っている。当時の和市米価石別四〇〇文で換算すると、玉蔵坊は総収納額の三割程度を内徳として取得していたことになる。

表44 玉蔵坊領の収納分と下行分

表44 玉蔵坊領の収納分と下行分
 ところで表44において本役方米銭として一括しているものは、本役米・造帳米・天役銭などをさす。これらは玉蔵坊が内徳分を売却した地の荘園領主および代官の収納分であり、玉蔵坊が売却のときに個々の地について買得者との間でその額が定められ、名主玉蔵坊を経由して荘園領主などに納入されるものである。これは売却地の本役米・公事が内徳分と分離された場合を示すが、逆にいえばその他の分米地・地子銭地においてはこれら名主が負担すべきさまざまな本役・公事は作人から収納する分米・地子銭のうちに包括されており、通常は区別されてはいないのである。単純化すれば、名主玉蔵坊は作人の田畠から分米と地子銭を取り、そのうちよりさまざまな本役・公事を納め、残りを内徳として取得したのである。名は依然としてさまざまな本役・公事を課されているが、名主は作人からは分米・地子銭収取という形に整理していた。



目次へ  前ページへ  次ページへ