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 第四章 戦国大名の領国支配
   第二節 朝倉氏の領国支配
    四 家臣団編成
      内衆
 内衆も、その出身によって分類するとほぼ三つに分けられるようである。英林孝景以前より歴代朝倉氏に仕えた根本被官としては、前波氏を筆頭に栂野・和田・諏訪・半田・新開氏などが挙げられるが、一乗谷近辺の在地名を氏とする地侍級が多く、これも朝倉氏が早くから一乗谷を本拠としていたことを示唆する。次に、斯波家をはじめ他家より転身して孝景の越前平定過程で朝倉氏の被官化した者としては、印牧・青木・魚住・山崎・福岡・宇野氏がこれに該当するものと思われる。このほか在地荘官から被官化した者も多いと考えられ、その筆頭は小泉氏であろう。
 これら内衆は国主朝倉氏を守る旗本親兵であると同時に、奉行職や奏者を勤める吏僚でもあった。永禄十一年、足利義昭に伺候した「年寄衆次第」に注された「前波・魚住・桜井・青木隼人佐・栂野万鶴・詫美・山崎」は、内衆のなかの重臣であろう。なお朝倉氏の越前平定過程で活躍した朝倉軍団は、当初孝景内衆と氏景内衆に分かれていたと考えられる。英林孝景の死後、文明十三年十一月十一日に氏景の代替りを祝して開かれた儀式酒宴に列座する家臣たちは内衆であるが、多くの重臣を欠いているから、おそらく氏景にのみ臣従した内衆と思われ(資3 諏訪公一家文書一号)、氏景の家督就襲にあたって改めて氏景と内衆との盟約を誓い合ったものであろう。



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