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 第四章 戦国大名の領国支配
   第二節 朝倉氏の領国支配
     三 領国支配機構
      寺庵役
 朝倉氏は寺庵に対しても独自の役を課した。朝倉氏の出陣などにあたり祈を命じ(資6 青山五平家文書三・四号)、寺領目録安堵を受けている寺僧には陣中での弔いなどを行なう陣僧として参陣することが求められている(資8 西福寺文書一七三号)。また寺庵役として、永正七年敦賀郡で「郡内諸寺庵拾分壱」が徴収されている(同一七二号、永厳寺文書一三号『敦賀市史』史料編二)。この「寺庵十分一」あるいは「五分一」は、領国内の寺庵を対象として元亀三年まで徴収されたことが知られる(資4 滝谷寺文書一一五号)。当初は橋普請のような公共的事業を行なうためとされているが、享禄四年からはその用途が記されておらず、朝倉氏の収入になったものと判断される。寺庵役を徴収するため朝倉氏は寺庵の得分高を指出(申告)によって掌握し、その得分高の十分の一または五分の一を徴したのである(資8 善妙寺文書二三号、資4 滝谷寺文書一〇五号)。
 なお寺庵役ではないが、買得地の目録安堵を受けた者は「買得地目録十分一」「御判拾分一米」を朝倉氏に納入することになっていた(資3 慶松勝三家文書五号、資5 中道院文書三号)。これは安堵された買得地得分の十分の一を礼銭として納入するものと思われる。そのほか朝倉氏が課した役として国中寺社普請役・道橋普請役・船橋役などがある(五章一節二、六章一節四参照)。



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