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 第四章 戦国大名の領国支配
   第二節 朝倉氏の領国支配
     三 領国支配機構
      支配機構の整備
 政略と軍事力によって越前を平定し戦国大名として君臨した朝倉氏は、分国を維持し支配するための軍備拡充と並行して支配機構の整備・充実に努めた。越前のうち敦賀郡と大野郡は、朝倉一族を郡司に任命して統治させた。両郡にはすでに前代の斯波氏のころに郡司(郡代)の存在が確認されるから(三章一節三参照)、この権限を踏襲したものと思われる。領国の外交・軍事権は一乗谷朝倉氏が統括していたが、敦賀・大野両郡の郡内における裁判権・検断権は各郡司に委任され、敦賀郡西福寺などには郡司による寺領安堵状も伝来する。これら二郡を除いた領域は一乗谷の宗家朝倉氏が奏者・奉行人制を採って直接支配し、斯波氏のとき守護所のあった府中には、府中奉行人(府中両人)が置かれた。しかし敦賀・大野両郡を除いた領域にも、織田・安居・金津などの要地には朝倉一族が配置されて独自の支配が行なわれていたと思われ、また国衆のなかにも一定の自立的支配権を行使して割拠する者があった。



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