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第三章 守護支配の展開
   第五節 惣村の展開
    三 村の諸身分
      本百姓と新百姓
 しかしこの惣百姓の形成は、同時に村落内部に新たな身分秩序が生み出されていくことをも意味した。太良荘では永徳元年(一三八一)より「領家分之御百姓」が守護夫を「地頭方在家御百姓」にも家別に割り当てて負担させるようになったため、「本百姓」と「新百姓」との紛争がおこっている(ハ函九四、オ函八二、タ函四三)。わずかの年貢免除畠のほか耕地をもたず、地頭への夫役のみを勤めていた「地頭方在家御百姓」すなわち「新百姓」とは荘内の尻高という地に住んでいた人びとであったと考えられており、彼らは「地下平民之夫役」は勤めないと主張している。これに対し荘園領主東寺は尻高百姓の訴えを退け、「本百姓」が守護夫の三分の一を尻高百姓に課すことを認めている。これによって、守護夫の負担をきっかけとして太良荘の百姓の範囲が新百姓をも含むものとして拡大されつつあること、またその内部では新百姓は地下平民ではないという区別があったことを知ることができる。それまでの番頭・名主・作人・在家などは、荘園の年貢・公事収納体制のなかで個々人が占めるどちらかというと流動的な地位を表わすものであったが、今やそれとは区別される本百姓・新百姓という閉鎖的な階層的身分秩序が村落内部において形成され始めたのである。



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