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第三章 守護支配の展開
   第四節 荘園の変質と一揆
    五 室町期の徳政一揆
      質入売買
 室町期には個々の荘園に限定される荘民の一揆(荘家の一揆)だけでなく、荘や郷を超えた一揆がおこった。その代表的なものが、人びとの債権・債務の破棄を要求する徳政一揆である。徳政一揆は最初正長元年(一四二八)九月に京都でおこり、次の嘉吉元年(一四四一)九月の徳政一揆においては幕府の徳政令が出され、以後しばしば徳政令が出されるようになる。しかし、幕府の徳政令が出されたからといって諸国でただちに徳政が承認されるのではなく、国で徳政が行なわれるためには、実力による徳政実施か守護大名の承認を必要とした。このため国においても徳政一揆が蜂起した。室町期の若狭においてそうした徳政一揆があったことが知られている。
 徳政の主な対象となったのは売買と貸借であった。一般的にいえば、農民の売券が広くみられるようになるのは戦国期になってからであり、その内容も「内徳」を永代に売却するものが中心となる。それに対し戦国期以前の農民の土地売買とは質入れを主流としていたと判断される。太良荘の真村名主の権介真良が観応二年(一三五一)から翌三年にかけて作成した三通の売券をみると、「うりわたす五ねんけ(毛)のつちたの事」「うりわたす十年ケ(毛)の土田の事」とあるように、いずれもある年期を限って耕地を相手に引き渡し、相手がその耕地を耕作して得る得分をもって借銭・借米の元利に充てるという入質(質入れ)をその内容としている(ハ函二七)。そして何らかの事情により年期中にこの契約が履行できなくなったときには売券に書き入れてある男女を召し取られたいとされており、農民は土地を永代に売るよりも人を永代に売ることを辞さなかったのである。この権介真良の売券は真村名相論に関連してたまたま伝えられたものであり、通常は年期を過ぎると末代の証文としては効力を失って廃棄される文書であったことを考えると、このような質入れが多かったと考えられる。
写真161 田井栄満田地作毛年季売券(西福寺文書)

写真161 田井栄満田地作毛年季売券(西福寺文書)




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