目次へ  前ページへ  次ページへ


第三章 守護支配の展開
   第四節 荘園の変質と一揆
     三 半済と守護役
      守護課役の強化
 荘園領主にとってより緊急の課題となったのは、幕府が課す種々の段銭および守護の課す夫役・段銭などを免れることであった。南北朝期末に幕府が伊勢神宮や内裏の造営などの国家的用途の徴収権あるいは免除権を掌握し、守護を通じて諸国より徴収するようになると、それまでと違って連年恒例のように課役が課せられるようになった。さらにまた守護も、夫役・段銭・十分一銭および有徳銭を課した(本章二節参照)。
 荘園領主は段銭など諸役免除の先例を挙げてこれらの負担を免除されるよう幕府に求めた。太良荘についてみると、荘園領主東寺は伊勢神宮や内裏あるいは若狭国一・二宮の造営のための段銭免除の権利を得ていた。しかし守護はそれを無視して、支配下においた国衙の税所より徴符を荘園に配布し、一定の期限が過ぎると大使と称される徴収使を荘に入部させて責め立てた。荘が完納するまで徴収しは現地に滞在し酒食を要求したので、場合によっては彼らへの接待費の方が本来の納入額を上回るほどであった。そこで荘園領主は幕府や在京の守護に働きかけていちいち課役免除の幕府奉書や守護遵行状を得なければならず、その度に一献料(免除状への礼銭)を必要としたのである。それでも応永十年や文安元年(一四四四)のように伊勢神宮造営段銭が免除されないことがあり、その場合には守護の現地での催促(国催促)をやめ、京都で直接納入する京済の権利が認められている(シ函二二六、ハ函二一〇)。



目次へ  前ページへ  次ページへ