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第三章 守護支配の展開
   第四節 荘園の変質と一揆
    二 請負代官支配の展開
      禅僧代官
 次に代官として契約される者の出自や社会的性格についてみると、まず永享元年(一四二九)より太良荘の所務代官となった岡弘経や中尾弘聡のような東寺被官人、あるいは同じく所務代官となった快幸・定増・乗珍らのような東寺の僧が目につく。伏見宮家の根本所領である山城国伏見荘の政所小川浄喜が同家領の遠敷郡松永荘の代官となった例や(『看聞日記』永享三年六月十二日条)、興福寺の大和国衆徒の小泉重弘が大乗院門跡経覚から河口荘兵庫郷代官職を与えられた例もこれに加えることができよう(『私要鈔』文安四年十月七日条)。これらはいずれも荘園領主の身内や配下の者が代官となる場合である。
 これに対し、荘園経営に熟達し、金融力があり、幕府にもつながりをもっているような人物、例えば太良荘代官の相国寺鹿苑院乾嘉副寺や坪江郷代官の相国寺常徳院承寛都寺・南禅寺徳雲庵清都寺・京都の土倉高屋一鏡房・幕府の御倉禅住房承操および承棟に代表されるような代官がいる。さらに越前・若狭に根拠地をもつ守護被官・国人の代官があり、この例としては代官がほぼ守護斯波氏の家臣で占められる河口荘を挙げることができる。



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