目次へ  前ページへ  次ページへ


第三章 守護支配の展開
   第四節 荘園の変質と一揆
    二 請負代官支配の展開
      所務代官と請負代官
写真156 熊谷持直兵庫郷政所職請(京大 黄梅院文書)

写真156 熊谷持直兵庫郷政所職請文(京大 黄梅院文書)

 室町期の荘園支配の特質は代官支配によく現われている。ここで代官というのは本来の荘官である下司や預所の任務を忠実に代行する者という意味ではなく、いわゆる請負代官をさしている。本来の荘官は下司や公文がそうであったように、荘の成立以前からの土着の権利に立脚しているか、預所のように代々荘務を続けるなかで慣習的・伝統的に定まった権利を有していた。しかし南北朝動乱期のなかで、荘園領主と荘官は双方とももはや伝統的な荘官の権限のなかでは事態に対処できないことを認識し、伝統や由緒にこだわらない新たな性格をもつ代官が一般化するようになった。その新たな性格とは、代官たりうる根拠が「先祖相伝」の由緒などによるのでなく、荘園領主との間で交わされた年貢納入の契約にあるとされるようになったことである。
 荘園領主が代官と契約する内容はさまざまであり、また代官として契約する対象者も一様ではなかった。そこで、契約の内容および契約の対象者という二つの基準によっておおまかな分類をしてみよう。まず契約の内容から大別すると、まず長禄三年(一四五九)四月に河口荘兵庫郷政所職の代官となった熊谷持直のように「干水損等地下の煩をいわず」契約年貢を「請切」る年貢請負代官がある(資2 京大 黄梅院文書一号)。これに対して太良荘でみられるように、年貢は請け切りではなく、その年々の納入年貢額は荘民と荘園領主との間で定められるが、その他の荘務を請け負う所務代官があった。この所務代官は南北朝期から現われるもので、この職は代官得分がその年の収納年貢の五分の一と定められていることが多く、東寺領では「寺家の法」とされるほど普及していた(ヌ函二七)。こうした所務代官としては青蓮院領敦賀郡莇野保の代官が知られる(資2 醍醐寺文書九四号)。



目次へ  前ページへ  次ページへ