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第三章 守護支配の展開
   第三節 室町幕府と国人
    四 若狭の土豪
      土豪の去就
 鎌倉から南北朝期において若狭の土豪たちは、国衙税所にかかわり、若狭一宮宜家を中心とした婚姻関係などを通じて相互に強い結びつきをもちつつ守護支配に対抗していた。しかし貞治五年に一色氏が守護となると、例えば渡辺・包枝・河崎・和田氏などは一色氏に属するようになり、応安の国一揆において守護方として参戦した。これらの土豪のうちのほとんどは一色氏支配下では存続したものの、永享十二年の武田氏入部にさいして、一色氏とともに若狭の地を離れ丹後へ移るかあるいは若狭にとどまり一色牢人として蜂起し武田氏に討たれるかの、いずれかの運命をたどっていった。一方、国一揆において一揆方として戦い敗れた土豪たちの多くは、山西・倉見氏のように没落を余儀なくされた。
 しかし戦国期を迎えて以降も、山東・池田氏や、一色氏のとき若狭に根をおろした片山氏のように、地理的条件や幕府との結びつきを背景として武田氏支配に対し独自な立場を保持して活動を展開した者もいた。



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