目次へ  前ページへ  次ページへ


第三章 守護支配の展開
   第三節 室町幕府と国人
    三 越前の土豪
      武曾氏
 武曾氏は深町氏と同様に坪江郷に拠点をもった。前述のように延徳三年、竜沢寺四至内の禁制違反の交名注進が武曾左馬助に命じられているから、深町氏と同じころに朝倉氏の支配下に入ったのであろう。また「河口荘勘定帳」によると、竜沢寺に田地を寄進した武曾三郎義連や(同三六号)、武曾隼人佐・同刑部大夫が下懸銭などを納入している。
 天正三年(一五七五)、興福寺大乗院の門跡尋憲の使者が織田信長の禁制を携えて河口荘に赴いたとき、荘内の各郷には禁制を渡す相手が一人もいないという状況のなかで、坪江上郷だけは武曾隼人入道に禁制を触れ廻ってもらうことを要請し了承されたことが記されている(資3 山田竜治文書一号)。この人物は前述の下懸銭を納入した武曾隼人佐と同一人物であろう。



目次へ  前ページへ  次ページへ