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第三章 守護支配の展開
   第三節 室町幕府と国人
    三 越前の土豪
      瓜生・立神氏
 瓜生氏は南条郡杣山城を拠点にした。建武三年(一三三六)に高師泰が瓜生判官を杣山城に攻めているように、南北朝の争乱では南朝方に属した(『太平記』巻一八)。さらに、坂井郡河口荘関郷公文として入部した「そハ山うりう殿」がみえ(『雑事記』長禄二年十月二日条)、その広域にわたる活動が知られる。また文亀元年(一五〇一)、南条郡洞春院が集積した田地の安堵を求めて朝倉氏に提出した院領目録によれば、それら田地のなかには瓜生氏が安堵の裏判を施しているものがある(資6 藤木太兵衛家文書二号)。これは朝倉氏の安堵以前には瓜生氏のような国人が支配領域内の土地売買を保証していたことを示している。
 立神氏は丹生郡末野村あたりに勢力をもった。永禄十年、立神吉藤が同名の一族から田地を集積している(資5 山本重信家文書一〇号)。さらに立神重珎は、南条郡今泉浦が今立郡白鬼女船橋の舟六艘のうち三艘の免除を願って朝倉氏に訴えたとき背後で尽力しており、今泉浦あたりとの密接なつながりもあったことが知られる(資6 西野次郎兵衛家文書六五号)。



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