目次へ  前ページへ  次ページへ


第三章 守護支配の展開
   第二節 一色・武田氏の領国支配
    二 一色氏の国衙掌握と領国支配機構
      今富名代官と税所代
 今富名の代官である小笠原氏も石河氏も在京していたから、実質的な支配は又代官にゆだねられた。その又代官は、支配拠点となる政所を小浜の問丸・刀のところに置いていた。すなわち、武田重信が問丸左衛門三郎宅を宿所としたのをはじめ、片山行光は宗覚(問丸かどうか不明)、長法寺は刀左衛門次郎、三方修理亮は刀兵衛太郎の家をそれぞれ政所としている(「税所次第」)。これは今富名の中核はやはり小浜であること、そして小浜のおそらく特権的な問丸や刀がその支配に大きくかかわっていたことを物語るものである。なお、又代官長法寺が問丸の訴訟で解任されているように(同前)、又代官と問丸の間には津料などの徴収をめぐって緊張関係があったものと思われる。
写真144 若狭国留守所下文

写真144 若狭国留守所下文

 ところで、前述したように応永十年、それまで約一〇〇年も税所代を務めてきた海部氏が解任されて同じ在庁官人の田所(安倍)氏に替えられたのは、国衙機構が完全に守護権力に掌握されたことを示すものではあるが、そのことは税所代の権限の喪失を意味するものではない。例えば、一色氏が段銭配符に用いた留守所下文にただ一人花押を据える二番目の署名者は税所代とみられるので(写真144)、税所代が請取状を発行する在国奉行と並んで段銭徴収に大きな役割を果たしていたことは疑いない。それは、いうまでもなく段銭賦課の基礎台帳たる大田文を税所が管理していたことにもとづくものである。



目次へ  前ページへ  次ページへ