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表27 室町期一色氏の若狭支配組織



第三章 守護支配の展開
   第二節 一色・武田氏の領国支配
    二 一色氏の国衙掌握と領国支配機構
      在京奉行
 一色氏の若狭支配機構で南北朝期から変わった点は、税所今富名関係諸職が加わったこと、守護代の在京が常態となり、そのためにこれまでの在京守護代がなくなったことなどである。こうした点を考慮して支配機構を示せば、図30のようになろう。このうち連続して在職者のわかるものをまとめたのが表27である。以下、各役職の機能およびその在職者の性格についてみていこう。 
図30 室町期における一色氏の若狭支配機構

図30 室町期における一色氏の若狭支配機構


表27 室町期一色氏の若狭支配組織

表27 室町期一色氏の若狭支配組織
 まず在京奉行については、南北朝期とは異なり二人ないし三人の連署で幕府・守護の命令を守護代や小守護代に下達している例が、応永四・十八・二十七年の三例みられるものの(オ函九五、つ函二、に函一一四)、実は守護から在京奉行を経ないで直接守護代に命が下される事例の方が多く、どこまで恒常的機関として確立していたかは疑問も残る。ただ、応永十八年は一色義範がまだ一二歳で判始(家督を継いで初めて花押を書く儀式)も行なっていなかったときなので、在京奉行は幼主を支える組織として実際に機能を果たしたと思われる。なお、姓のわかる在京奉行壱岐・伊賀・石河・高井の四氏のうち、伊賀氏は若狭に石河氏は丹後にそれぞれ本拠を置く重臣とみられるが、伊賀氏は丹後守護代を務めたことがあり(ト函九二)、石河氏は若狭今富名代官にもなったことがある(表27)。



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