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第三章 守護支配の展開
   第一節 斯波氏の領国支配
    一 室町幕府管領家斯波氏
      斯波義郷・義健
 斯波義淳の跡を継承したのは、その弟義郷である。彼は義重二男として応永十七年に誕生し、相国寺に出家して瑞鳳と名乗っていたが、義淳死去にともなって還俗し遺跡を継承した。最初に後継者と目されたのは実は義重三男の持有であったが、将軍義教は彼を認めず、やむなく代わって義郷が継承したものである(同 永享五年十一月三十日条)。翌六年十二月、義郷は将軍義教の加冠で正式に元服するが(『看聞日記』同年十二月二十六日条)、同八年九月に陸橋から馬もろともに転落して死去してしまった(同 同年九月二十九日条)。
 その跡を継いだのは嫡子義健(幼名千代徳丸)である。宝徳三年(一四五一)十一月に一七歳で元服して官途治部大輔を受けることとなる。その間は一族持種が扶持を加え、甲斐将久が後見を務めた(『建内記』嘉吉元年十二月二十一日条)。しかし彼は享徳元年(一四五二)九月に一八歳で早くも死去してしまい、家督は持種の子義敏により継承されることとなる。



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