目次へ  前ページへ  次ページへ


第三章 守護支配の展開
   第一節 斯波氏の領国支配
    一 室町幕府管領家斯波氏
      斯波氏の分国
 斯波氏の分国のなかで、信濃は小笠原氏の支配から幕府管轄下に入ってのち至徳元年(一三八四)から斯波氏が守護となっていたが、小笠原長基・村上頼国らの挙兵や大文字一揆の蜂起があり、応永九年五月に幕府料国に編入され斯波氏の手から離れた。加賀も富樫氏の分国であったものを嘉慶元年(一三八七)斯波義種が守護職に補されたが、応永二十一年五月に義種の子満種が将軍義持から忌避され高野山へ遁世する事態が勃発し斯波氏の手を離れた(「寺門事条々聞書」)。これに対し、先にふれたように、斯波氏は応永七年に尾張の、同十二年には遠江の守護職を獲得しており、越前と合わせたこの三か国が斯波氏の領国となった(表25)。そのなかでも越前は、いっとき細川頼春と畠山義深が守護職に任ぜられたことはあるものの建武新政以来の斯波氏の本拠であり(二章二節参照)、斯波氏の最も重要な分国として経営されていた。

表25 室町斯波氏の管領・守護在職一覧

表25 室町斯波氏の管領・守護在職一覧
 これら分国について、斯波氏はそれぞれ守護代を置き支配にあたらせた。幕府からの指令はまず守護斯波氏へ伝えられ、斯波氏から守護代へ下達された。さらにその指令は守護代から在国した小守護代や郡代へ伝えられ実務が執行された(本節三参照)。守護代としては、信濃で二宮氏泰・同越中是随・島田常栄が、加賀で二宮種氏が知られ、尾張では甲斐将教ののち守護代に織田常松が、また小守護代に織田常竹が就き、戦国期にいたるまで織田氏による体制が維持された。そして越前守護代は、遠江とともに代々甲斐氏が務めた。



目次へ  前ページへ  次ページへ