目次へ  前ページへ  次ページへ


 第二章 南北朝動乱と越前・若狭
   第四節 越前・若狭の荘園の諸相
    五 牛原荘
      荘の成立
 白河天皇は中宮賢子の死を悼んで応徳二年(一〇八五)に醍醐寺円光院を建立したが、翌三年東大寺の五師忠範が大野郡内にもっていた見作田二〇町を含む荒野を円光院別当義範や賢子の実父である右大臣源顕房を介して円光院へ寄進し成立したのが牛原荘である(通1 六章三節三参照)。荘の本主忠範はしばらく下司職を勤め、そのあと応徳三年からは座主権僧正勝覚が、永久四年(一一一六)からは座主大僧正定海がその権利を引き継ぎ、以後醍醐寺座主の支配下に置かれることになった(資1 「醍醐雑事記」巻一)。



目次へ  前ページへ  次ページへ