17 地方都市・福井(2)
 こうしたなかで、福井市は「都市計画法」の適用を申請し、27年(昭和2)4月、福井市のほか足羽郡木田村と和田村および東安居村と社村の一部、吉田郡の円山東村と円山西村および西藤島村の一部がその指定をうけました。


 その後、32年10月には都市計画の要となる福井都市計画街路が認可されました。路線数は37で、総工費も約1858万円にのぼるという大計画でした。福井駅前を中心として国道12号線、重要県道福井松岡線など8線を平均15メートル幅の道路に拡幅・新設して、この8線を中心に放射線と環状線が配置されるというものでした。


 また、付帯計画として、堀の埋立てや学校の移転によって、福井城址を中心に総面積1万坪にのぼる近代的な公園地帯をつくる計画案も立てられていました。


 しかし、こうした都市計画には事業遂行の財政的裏づけがありませんでした。このため、この時期に実現したのは、33年(昭和8)秋の陸軍特別大演習にそなえて、県道福井加賀吉崎線を市中心部に直結させる、田原町から高等工業学校前までの竣工のみでした。


 現在の福井市の都市空間は、45年の空襲の後の戦災復興事業によって形造られたものですが、その計画には昭和戦前期の都市計画構想が引き継がれています。
福井城址の埋立て状況 凡例
▲福井城址の埋立て状況(1933年)
福井城址の中核部の埋立ては、県庁の本丸への移転と、越前松平試農場の転出
が決まった1919年(大正8)から本格化した。28年(昭和3)には県庁跡地にだるま屋
百貨店が開店し、その後も百間堀を中心に堀の埋立てが進んだ。『越前及若狭地
方の史蹟』所収の図による。国土地理院発行1万分の1地形図「福井」をベースに
『若越城下古図集』を参考にした。 拡大図 280KB    


福井県庁(1924年10月)
▲福井県庁(1924年10月)  『東宮殿下行啓記念写真』 福井市立郷土歴史博物館蔵


県庁跡地での皇太子(昭和天皇)奉迎式(1924年11月)
▲県庁跡地での皇太子)奉迎式(1924年)
              『東宮殿下行啓記念写 』 福井市郷土歴史博物館蔵

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