18 観光・行楽ブーム(1)
 大正から昭和初期にかけては、私鉄・電鉄を中心とする鉄道網が整備され、さらに乗合自動車やタクシーなどの自動車の運行も普及し、地域の交通体系は大きな発展を遂げました。そして、人びとの移動はますます活発となり、新しいレジャーの楽しみ方として観光や遊覧、行楽がにわかに脚光を浴びるようになりました。県内外からの客の招致を目的に、関連施設の整備拡張がすすめられ、モダンな意匠をこらした絵はがきやパンフレットなどを使って、宣伝合戦もはなやかに行われました。鉄道省や私鉄会社による旅行勧誘の各種キャンペーンが企画され、同好者を集めて旅行団体が設立されるようになったのもこの時期です。

  高浜海水浴場 (彩色絵はがき)
  ▲高浜海水浴場 (彩色絵はがき)
  1932年(昭和7)の夏には、テント村、ダンスホール、ベビーゴル
  フ、麻雀クラブなどの娯楽施設の充実がはかられた。この時期
  には、水着の「ボートガール」が人気をよんだ。
                            福井県立博物館蔵

      各種の観光絵はがき (袋)

                  ▲各種の観光絵はがき(袋)                   福井県立博物館蔵

 このころ県内の代表的な観光地といえば、嶺北地方では吉崎御坊、東尋坊、三国港、芦原温泉、福井城趾、藤島神社、永平寺など、嶺南地方では敦賀の気比神宮・金崎宮、三方湖、蘇洞門、若狭の名刹などがあげられます。行楽地では、夏季の海水浴場として嶺北の三国海水浴場、嶺南の高浜海水浴場が明治後期からにぎわいをみせていました。冬季のスキー場では、大正末期に大野の六呂師ケ原スキー場が最初に開かれました。昭和期に入ると鉄道や道路の交通ルートの整備を契機に、海水浴場やスキー場がつぎつぎに開設され、その数はいっきに増えました。海水浴場ではテント村やダンスホール、スキー場ではヒュッテやジャンプ台などの設備も充実されていきました。

 このほか、越前電鉄(京都電灯経営)の小舟渡駅前には、家族連れの行楽地として同社の小舟渡遊園地があり、九頭竜川の水泳場としてもにぎわいました。
三国芦原電鉄図絵
三国芦原電鉄図絵




  『三国芦原電鉄図絵』
 三芦・越前電鉄の沿線名所案内図絵。三国・芦原を
 中心に福井を経由して永平寺・小舟渡・勝山・大野
 に至る観光遊覧ルートが一望できる。当時、こうし
 た鳥瞰図を用いたパンフレットが大流行した。作者
 の吉田初三郎は、京都出身の絵師で、全国各地の
 名所案内図絵を手がけていた。 福井県立博物館蔵

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