19 中世への道(1)
 10世紀から12世紀にかけての時期は、古代社会が解体し中世社会が成立してくる転換期でした。中央では摂関政治・院政が展開し、各地では領主層が台頭し、墾田・荘園開発が進展し、国家の支配を排除しようとする動きが強まります。国司も任国の国政を請け負い、中央に一定額の税の貢納のみを行う受領に変化します。こうしたなかで土地制度・収取制度にも、新しい方式が成立してきます。
 公田官物率法は、国家の支配下にある田地を公田と認定し、それに一定の租税を課す収取制度ですが、11世紀なかば以降は段別3斗に統一されました。これは租の系譜を引くものですが、調・庸・雑徭などは臨時雑役という税に一本化されます。こうした定率税が成立したのは、受領による国内への過酷な収奪に、郡司・百姓らが激しく抵抗した結果です。また、それを実行するためにとられた土地制度が、11世紀半ばの郡郷制の改編です。それは郷や、領主的開発によって成立した名や保・別名などの土地を、それぞれ並列される独立した所領単位として公認し、国衙の支配下に入れ、公領として収取の単位にするというものです。

 
     平安末期のおもな荘園
       ▲平安末期のおもな荘園 
       荘園の領有関係は複雑・流動的で不明部分も多い。
       女院領は、院政を行った上皇の母や娘、后の荘園。
       長講堂領などの寺領のなかにはのちに皇室領となっ
       たものがある。
                              拡大図 45KB 
  院政期の越前・若狭の国主と院の近臣
  ▲院政期の越前・若狭の国守と院の近臣
        は、院の近臣であったことが明確な国守。

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