7 「大税帳」から見た越前国(1)
                                「越前国印」印影
                                   ▲「越前国印」印影
                                   公式令で方2寸と定められていた。
 奈良の正倉院には、奈良時代の越前国の財政状況を伝える文書が3通残っています。730年度(天平2)の「越前国大税帳」と「越前国義倉帳」、732年度の「越前国郡稲帳」とです。これらは中央政府(民部省)に提出され、不用になった段階で反故紙となり、裏が写経所で再利用されたものです。一国の財政文書がこれほど残っているのは、全国的にみても越前だけのことです。

 当時の国の役所である国衙の財政収入は、田に賦課された税で稲を納める租(ただし実際は穀で納入)と、蓄えられた稲を5割(のちに3割)の利子付きで強制的に人びとに貸し付ける出挙によって賄われていました。後者は行政機関によって行われるので公出挙といい、一種の税でした。大税とは右の2者を合わせた国衙に属する稲穀のことで、実際には各郡に置かれた多くの倉(正倉)に収納されています。「大税帳」はその収支決算書です。

 これによれば、730年度段階で、大税の支出は中央に送る舂米(稲をついて精米したもの)1万束余があるくらいで、穀だけでも22万7000石という膨大な量が備蓄されていることになります。大税は備蓄を主目的にしていたようです。      
         「越前国郡稲帳」(733年)

         ▲「越前国郡稲帳」(733年)
         前半の一国全体の支出総計部分には篁子(みのごめ)・糯米・酒造用の米を支出したこと、高級織物である錦・綾・羅
         などを織る機や綜・糸、それに塩を購入したことがみえる。これらの費用は各郡に割り当てられた。総計部分に続く敦
         賀郡の収入は、出挙の利子518束、死んだ馬の皮の売却10束の合計3614束6把で、支出は726束5把のため、天平4
         年度の総計は2888束1把となっていることがわかる。
                                         複製 国立歴史民俗博物館蔵 (原品 宮内庁正倉院事務所蔵)

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