4 継体天皇の出現(1)
 福井に最も関わりが深い天皇といえば、継体天皇でしょう。しかし彼の実像は謎に包まれています。

  『日本書紀』によると、子供のいない武烈天皇が死ぬと、皇位継承者が絶えそうになりました。そこで大連の大伴金村らが候補者を捜し、白羽の矢を立てたのが、越前三国にいた男大迹(おほと)王でした。王は応神天皇の5世孫で、父は彦主人王、母は垂仁天皇の7世孫振媛です。振媛は三国の坂中井から、彦主人王により近江の三尾の別業に迎えられ、王を産みましたが、夫の死後、子を連れて高向に戻って来ました。そして507年、男大迹王が57才の時、金村らが迎えに来たのです。王は樟葉宮に至り即位し、前代以来の大連大伴金村・物部麁鹿火、大臣許勢男人を再任し、仁賢天皇の娘手白香皇女を皇后としました。その後、山背の筒城(綴喜)宮・弟国(乙訓)宮と転々とした後、526年にようやく大和の磐余の玉穂に都を定めたといいます。一方『古事記』は、応神天皇五世孫の袁本杼(おほど)を近江から上京させ、手白髪命と結婚させ、天下を授けたと語っています。 
横山古墳群
▲横山古墳群 点は前方後円墳の位置。
                   福井県埋蔵文化財調査センター提供
継体天皇の父母と妃たち
▲継体天皇の父母と妃たち おもに『日本書紀』より作成した。
『日本書紀』巻第十七 男大迹天皇
 ▲『日本書紀』巻第十七 継体天皇         天理大学附属天理図書館蔵
高向神社  高向神社
 『延喜式』神名帳の高向神社に比定され、振媛ら
 一族の氏神であったと伝えられる。
                        丸岡町高田

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