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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第一節 地域開発施策の展開
    三 原子力発電所の新増設と地域振興
      立地推進体制の強化
 一九七九年(昭和五四)三月、アメリカのスリーマイル島の加圧水型原子炉で、冷却材の喪失と緊急炉心冷却装置による炉心冷却の失敗により核燃料棒の溶融・破壊が生じ、周辺環境へ大量の放射性気体が放出されるという衝撃的な事故が発生した。アメリカ原子力規制委員会(NRC)の警告により、原子力安全委員会はわが国で当時唯一稼動していた加圧水型原子炉である大飯一号の運転を停止し、点検を命じた。同委員会では早くも五月に大飯一号の運転再開を認める方向で動いたが、これに対して、県、敦賀市長を会長とする全国原子力発電所所在市町村協議会、さらに県会自民党もただちには承服せず、国の常駐検査官の配置などの安全管理対策、国の責任にもとづく防災計画の整備、および地域振興のための立地地域電気料金割引制度の創設などを国に求め、大飯一号は運転管理専門官を配置したうえで七月に運転再開となった。
 このスリーマイル島事故を契機として、安全性の確立を前提とする原電誘致により地域振興をはかるという、原電立地地域の要求が明確となったが、これに応じて政府は安全管理の側面と財政支援の側面での体制の整備を進めた。八〇年四月には原電の運転管理に関する指導監督業務を行うため通産省資源エネルギー庁運転管理専門官事務所を設置し、県内には敦賀・美浜事務所と大飯・高浜事務所がおかれた。また科学技術庁は八二年四月にふげん運転管理専門官事務所を設置した(九一年一一月よりふげん・もんじゅ運転管理専門官事務所に改組)。防災計画については、七九年七月に中央防災会議が「原子力発電所等に係る防災対策上当面とるべき措置」を決定、八〇年六月には原子力安全委員会が防災指針として「原子力発電所等周辺の防災対策について」を決定した。福井県ではスリーマイル島事故後の七九年六月に防災計画の修正を行い、一〇月にはじめての原子力防災訓練(緊急時通信連絡訓練のみ)を実施した。さらに八一年七月には原子力安全委員会の決定にもとづき、防災対策の重点的対象地域を発電所周辺半径一〇キロメートルの範囲とする、知事独自の判断で災害本部の設置ができる、などの全面的な改定を行った。
 また、事故に先立つ七八年一〇月に「原子力基本法」等の一部改正法が施行され、原電開発推進の機能を設置者を管轄する主務官庁に一元化するとともに、あらたに原子力安全委員会を設立して安全規制の権限をこれに付与し、以下のような原電建設の法的手続きが確立された。すなわち、(1)立地のさいには、周辺環境保全措置に関する審査を行うとともに、主務官庁に公開ヒアリング(第一次ヒアリング)の開催を義務づけ、地元知事の同意を得たうえで電源開発調整審議会の審議により立地が決定される、(2)原子炉設置許可申請にあたっては、主務大臣による第一次安全審査と原子力安全委員会による第二次安全審査(ダブルチェック)が行われるが、そのさいに原子力安全委員会が主催する第二次公開ヒアリングが開催される、というものである。ただし、高浜三・四号(八〇年一月)、敦賀二号(八〇年一一月)、「もんじゅ」(八二年七月)と、当初は原子力安全委員会の公開ヒアリングのみが行われ、二段階の公開ヒアリングが行われたのは、県内では大飯三・四号(第一次八四年一一月、第二次八六年一一月)のみである。またこうした公開ヒアリングについて反対派側は、陳述人・質疑時間が制限され、原電立地のための形式的な意見聴取にすぎないとして、出席をボイコットしている。
 財政支援については、まず八一年度から電源三法交付金制度のうちに電源立地特別交付金を新設し、そのなかに原子力発電施設等周辺地域交付金と電力移出県等交付金が設けられた。前者は事実上の原電立地地域の住民・企業に対する料金割引制度であり、県への交付金が財団法人日本立地センターをとおして電力会社へ給付され、需要家の電気料金が差し引かれるしくみになっている。後者は原電立地が必ずしも大規模な雇用創出をもたらさないことから立地県に対して企業導入資金として交付するもので、当初福井県では難航していた福井臨海工業地帯への企業誘致を中心に支出した。また電源三法交付金の配分について、大飯一・二号分より立地県については隣々接自治体へも配分することで傾斜的な配分が行われたが、八一年度より、隣接県について一自治体を〇・五と換算することで、より立地県への配分が強められた。表153は、電源三法交付金の一部である電源立地促進対策交付金の発電機別の交付対象団体と交付額を示したものである。一方、核燃料税についても、課税期間の更新と税率の七%ヘの引上げが八一年度から認められた。

表153 原子力発電所別電原立地促進対策交付金総額(1989年度末現在)

表153 原子力発電所別電原立地促進対策交付金総額(1989年度末現在)
 こうした立地推進体制の強化のなかでは、八一年四月の日本原電敦賀一号における、一般排水路への放射性廃液の漏えい事故の発覚を中心とする一連の事故隠しと、風評被害による水産・観光業界への打撃も、原電の新増設の動きにさしたる影響をあたえなかった。通産省は敦賀一号の六か月運転停止処分だけで責任者の告発を行わず、日本原電は総額二〇億円余にのぼる事故補償と敦賀市へ二億円の寄付金拠出を行い、一二月には運転再開となった。運転再開をめぐっては、推進派、反対派双方が署名運動を展開し、敦賀市議会、県議会へ両者の請願が出されたが、市議会へは推進請願署名数五万六〇〇〇余に対し停止請願署名数二万たらず、県議会へは推進署名数約三五万に対し停止署名一一万たらずと、数のうえでは推進派が圧倒し、いずれの議会でも推進請願が採択、停止請願が不採択となった。また、原発反対県民会議は八一年五月、日本原電と同社幹部二人を福井地方検察庁に告発したが、一二月福井地検は不起訴処分とした。その後八三年四月に福井検察審査会が不起訴処分の一部を不当としたが、同年一二月福井地検は検察審査会の異議を全面的に退けた。
 なお、この敦賀の廃液漏えい事故に関連して、事故の処理や点検作業等における多数の下請作業員の被ばく問題がクローズアップされた。すでに七四年四月に敦賀で工事にあたっていた岩佐嘉寿幸が作業中の被ばくにより放射線皮膚炎に罹災したとして、大阪地方裁判所へ日本原電を相手に損害賠償請求訴訟を提起していたが、大阪地裁は八一年三月、原告の請求を棄却した(八七年一一月大阪高裁、九一年一二月最高裁でも棄却)。しかし、一回の定期点検のさいに約一〇〇〇人が動員され、その七、八割は各地の原電を転々とするといわれる原電下請作業員の実態がこのころからようやく社会的な注目を浴びるようになったのである。
 さて、こうした原電立地推進の流れのなかで、県および県会自民党は、立地の同意と引替えに積極的に「県益」の導入を国に求める方向で動いた。八二年五月の「もんじゅ」建設の知事同意においては臨工に国家プロジェクトの誘致をはかることを求め、また八五年一月の大飯三・四号建設の知事同意にあたっては、嶺南に地域振興整備公団の事業である中核工業団地の誘致を求めた。一方、こうした動きに対して原発反対県民会議などは、八五年九月、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の原子炉設置許可処分の無効を求める行政訴訟と建設・運転差止めを求める民事訴訟を福井地裁に提起した。八六年四月にソ連のチェルノブイリ原子力発電所で核暴走事故が発生すると、この裁判への関心は高まったが、八七年二月福井地裁は行政訴訟を分離して結審をいいわたし、一二月、原告不適格として行政訴訟を却下する判決を下した。しかし、控訴審の名古屋高裁金沢支部は原子炉から半径二〇キロメートル以内に居住する住民の適格性を認め、さらに最高裁は九二年九月、原告全員を適格として行政訴訟を福井地裁にさし戻し、ふたたび民事訴訟と並行した審理が行われることとなった(『福井県の原子力』、『福井新聞』79・4・1、14、5・20、24、26、6・8、12、81・3・31、4・3、19、22、27、5・19、6・23、7・1、12・15、17、82・2・3、5・8、83・12・29、85・1・25)。



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