目次へ  前ページへ  次ページへ


 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第一節 地域開発施策の展開
    三 原子力発電所の新増設と地域振興
      立地推進体制の確立
 電力業界は、一九七三年(昭和四八)末からの原油価格高騰による発電コストの上昇を前面に掲げ、しばらく頓挫していた原電建設の推進に取り組んだ。また既立地市町では、原電の運転開始から一五年間の減価償却期間の間、固定資産税が入ることになるものの、電気事業には課税標準の減免措置(償却資産の価格を最初の五年分は三分の一、つぎの五年分は三分の二とする)があり、また固定資産税収の七五%が地方交付税から差し引かれることになるため、税収増は期待していたほどではなく、国へ地域振興に貢献する財政上の優遇措置を求める声が高まっていた。自民党税制調査会(会長植木庚子郎)における電源開発促進税制の検討が急速に具体化し、七四年六月、電気事業者から販売電力量に応じて税金をとり、当該発電用施設の建設期間中、周辺の市町村等に交付金を付与する、いわゆる電源三法(「電源開発促進税法」「電源開発促進対策特別会計法」「発電用施設周辺地域整備法」)交付金制度が成立した。また七四年度より前述の発電所に関する固定資産税の課税減免措置を廃止した。さらに七六年九月には福井県に全国初の核燃料税が法定外普通県税として認められ、原子炉に挿入された核燃料の価額の五%が徴収されることになった。
 この電源立地促進税制のしくみについては後述するが、ともあれこうした措置により、財政難を打開するために原電誘致を積極的にうち出す自治体が全国的に増大した。原電立地先進地の福井県でも、まず七三年一二月に動燃と敦賀市白木地区との間で用地売買契約が成立し、七四年六月、白木地区が敦賀市議会に高速増殖炉建設促進を請願、市議会は三度にわたり継続審議とした後、七五年七月、賛成一六、反対一三でこれを採択した。中川知事は、当初、ナトリウムを冷却材に用いるなど技術的な困難と危険性が懸念される高速増殖炉の誘致には消極的であったが、七六年三月の科学技術庁の事前調査の同意要請に対して、六月、福田一自治大臣の核燃料税新設に対する好意的な姿勢を確認したうえで、建設を前提としない立地調査に同意した。国産原子炉の採用となった日本原電敦賀二号の事前調査についても、七七年一二月に県は同意をあたえた。
 さきに原電誘致を中止した小浜市は七五年一二月、保守系の民政クラブにより市議会に発電施設の立地調査推進決議案が提出され、七六年三月同決議案は可決された。ただしその直後に浦谷音次郎市長が原電誘致は考えないとの意見を表明している。高浜町でも、同町経済対策協議会が七六年三月、不況打開のために原発の増設以外に方法はないとの結論を出し、町は三・四号増設の交渉へ乗りだし、七七年二月、県は事前調査を認めた。
 こうした立地推進の動きに対し、反対運動も組織的なまとまりをみせはじめ、七六年六月には敦賀市に「高速増殖炉など建設に反対する敦賀市民の会」(市民の会)が結成され、七月には「原子力発電に反対する福井県民会議」(原発反対県民会議)が発足した。七六年一二月には七四年七月から運転停止となっていた美浜一号で、以前核燃料棒の折損があったことが発覚した。その後の通産省・科学技術庁の調査で運転中の異常水流による事故と断定されたが、関電では当初定期点検中に発見したものとしており、たび重なる事故隠しは原電に対する不信をふたたび強めた。これに対して、七七年九月、県会自民党は計画進行中の四基をのぞき原電の新増設に歯止めをかけるとの方針を打ち出し、また中川知事は、原電の建設は、(1)安全であること、(2)住民の理解と信頼が得られること、(3)地域に恒久的な福祉がもたらされること、の三原則で対応していくことを県議会で表明した。七八年四月には県原子力環境安全管理協議会に県民会議の中心団体である県労評の代表も加わることとなった。安全協定の周辺市町村への拡大も実現し、七七年八月、県は小浜市との間に関電大飯原電に関する通報連絡要領を定め、さらに七九年四月、小浜市は関電との間で安全協定を締結した。
 また、「市民の会」では七七年一一月、原電設置に関する住民投票条例制定の請求を行い、敦賀市長に対し請求代表者証明書の交付申請を行ったが、矢部知恵夫敦賀市長は原電建設に関する問題は地方自治体の行政事務事項ではないとして却下した。このため「市民の会」は七八年三月、市長の交付拒否処分の取消しを求める行政訴訟を福井地方裁判所に提起した。この訴訟は、八〇年四月に「市民の会」代表を含む「敦賀市原子力発電所懇談会」(座長、敦賀市長)を設置することで和解が成立し、取下げとなった。
 こうして建設推進、反対の両者の動きが活発となるなかで、従来から設置者により立地自治体へ協力金の名目で拠出されていた寄付金の問題があらためてクローズアップされた。とくに高浜町では七六、七七年に住民や議会に報告されないままに関電から九億円の協力金を町長個人名の普通預金口座に受け入れ、うち三億三〇〇〇万円が町内五漁協に配分された。これに対して住民から監査請求が出されたが監査委員により問題なしとされ、再監査請求に対しても請求の理由なしとの監査結果が通知された。その後、町長に対する損害賠償請求の住民訴訟が福井地方裁判所に提起されたが、七九年一一月、福井地裁は請求人の訴えは不適法として却下する判決を下した。また大飯町では七九年三月に大飯一号が営業運転を開始したが、運転開始の遅延のために固定資産税の受取りが遅れた見返りとの名目で、六億円の寄付金が関電より拠出され、町では八三年度からの改定振興計画に充当することになった。こうした寄付金は、立地自治体にとどまらず、周辺の自治体や団体へも提供された。七七、七八年に関電から高浜商工会・小浜商工会議所に各五〇〇万円の会館建設協力金が提供され、また七九年には日本原電から対岸の越前町に同町漁協会館建設費として一億二五〇〇万円の寄付があった(首藤重幸「原子力発電所をめぐる法的諸問題」日本科学者会議福井支部『地域を考える』、『福井県の原子力』、『読売新聞』72・5・20、76・3・10、77・9・13、『朝日新聞』74・1・9、76・3・11、6・7、17、『福井新聞』74・5・4、6・7、75・7・6、13、76・3・17、78・4・19、5・20、24、『毎日新聞』75・12・26、76・6・17、79・4・16、『中日新聞』77・9・20)。



目次へ  前ページへ  次ページへ