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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第一節 地域開発施策の展開
    二 福井臨海工業地帯造成計画の軌跡
      工業用水取水問題
 のちに尾を引きずる重要な問題として、臨海工業用水道の取水問題がある。一九七二年(昭和四七)改定のマスタープランでは臨工に誘致する工場へ供給する工業用水を一日約一四万トンと想定し、九頭竜川河口から約一〇キロメートル上流の布施田橋付近から取水する計画であった。この当初計画は、七〇年の大阪通産局の調査により同地点で六九年の最初のマスタープランが想定していた一日三〇万トンの取水は可能であるとの報告を得たことにもとづくものであったが、この報告には、調査時期が冬期であり、ぜひ通年データが必要であるとの付記があった。しかし県は通年調査を行わずに計画策定を急いだのである。実際この付近では、夏の渇水期にしばしば海水の遡上がみられ、水田に塩害が発生していた。このため、農業用水を九頭竜川から引水している農民は、工業用水の取水がもたらす水位の低下がさらなる塩害を招くとして、七二年三月、四五農業団体からなる嶺北農業水利権確保連盟を結成、七三年三月には県議会に対し工業用水取水反対の請願を行い、これは臨工特別委員会で採択となった。これに対して県は、潅漑排水事業を拡張して農業用水を含めた水道を建設し、用水の合理的な配分をはかるという条件を提示し、七月にはいったん基本的合意を得るまでにいたった。
 しかし、この年の夏の異常渇水の被害は大きく、布施田橋下流の坂井町木部新保の水田では一万ppmと海水の約三分の一の濃度の塩分が検出され、再調査が必要となった。この結果、布施田橋のさらに上流二・五キロメートルの福井市江上で塩分濃度が六六〇ppmと一応工業用水としての許容限度の数値が得られたため、この地点で取水することで二六の水利組合・土地改良区との合意が成立した。そして七四年四月には臨海工業用水道事業に地方公営企業法が適用され、建設がはじまった。もっともこの調査もたった一日の調査であり、一説には当日ダムの放水で水かさが増していたとの指摘もあり、のちには県も調査の杜撰さを認めざるをえないものであった。このため、のちにみるように臨工財政が危機的状況をむかえるなかで、ふたたび工業用水の塩水問題が取り上げられ、やむなく上流に第二取水口を建設するという失態を招くことになる(『朝日新聞』72・11・1、73・8・25、11・9、『福井新聞』73・3・4、9・21、80・7・9、12・22、『サンケイ新聞』73・3・16、7・18)。



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