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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第一節 地域開発施策の展開
    二 福井臨海工業地帯造成計画の軌跡
      用地買収と生業対策
 一九七〇年(昭和四五)四月の臨工開発公社設立にともない地元住民との用地買収交渉が開始された。当面、北電福井火力発電所用地の買収が急がれ、六月には三国町の地主代表と公社の間で売買契約が結ばれた。うち区・町有地の山林約三〇ヘクタールは坪あたり約二二〇〇円とされたが、民有の畑・山林の価格は臨工の他の用地とあわせて決定するとされ、暫定補償が支払われた(『福井新聞』70・6・28、7・29)。
 計画では約九四〇ヘクタールの農地(おもにラッキョウ栽培)が買収の対象となり、これにより農民の耕作地は九一四ヘクタールから四四二ヘクタールへと大幅に減少するため、交渉のさいには買収価格のみならず、農民の生業対策に配慮する必要があった。一一月から金沢夏樹東京大学教授らによる農業経営診断が行われるとともに、一二月には施設園芸と中小家畜を中心とする生業対策の基本方針が県より提示され、買収交渉が開始された。しかし、金沢教授らの報告書では地域農業への配慮の必要性を強調し、緩衝緑地帯の移動による農地の確保、農用代替地のあっせん、営農指導の強化など、県に対してきびしいものとなり、農民側も残存農地の拡大、代替地の確保、資金あっせん等を求めて県側と対立した。結局、県は、営農相談所の開設、緩衝緑地帯との境界線の海側への後退、代替地の確保等を約束し、土地改良区を設立して団体営、県営による水田の畑作転換事業を行うことになった。これらの資金の一部は、臨海工業用地等造成事業会計より一般会計へ繰り入れるかたちで支出された(表148)。なお三里浜の畑地帯の土地改良事業は、八二年一〇月、約四〇億円を費やして完成し、約一六〇ヘクタールの農地すべてに潅漑網が巡らされ、スプリンクラーによる自動散水、コンピューターによる水の管理、加工冷蔵施設の設置などが実施された(『読売新聞』70・12・10、『朝日新聞』71・1・19、2・13、10・19、『福井新聞』71・3・30、82・10・21、『中日新聞』72・1・20)。

表148 臨海工業用地等造成事業会計から一般会計への繰入金(1972〜82年度)

表148 臨海工業用地等造成事業会計から一般会計への繰入金(1972〜82年度)
 買収価格の提示は生業対策問題のために遅れ、両者の歩み寄りに一応のめどがついた七一年一一月に県から四ランク(最高五二五〇円・最低二〇〇〇円)の坪あたり単価と総額約九五億円の買収案が提示された。これに対して地主側より二年前の富山新港の例と比べてあまりに安価との非難の声があがり、調整の結果、七二年一月、最高七三五〇円・最低二三〇〇円、総額約一一九億円で妥結し、三月には小作人の離作補償問題を残してほぼ交渉は終了した(『読売新聞』71・11・18、72・1・5)。
 一方、臨工造成にともなう漁業補償は、造成工事や火力発電所の温排水、工場廃液による影響を懸念する漁民との間で難航したが、七二年五月の開発公社と三国漁協との間の合意を皮切りに、三国漁協一億一二〇〇万円、福井市漁協一億円、三国港漁協一八〇〇万円の漁業補償が成立した(『福井新聞』72・1・22、5・3、『福井臨海工業用地等造成事業決算報告書』)。



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