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 第五章 転換期の福井県
   第三節 変貌する諸産業
    一 農業の近代化と兼業化
      農家経済と農民生活
 農業の近代化と兼業化が進むなかで、福井県の農家の経済状態も大きく変化をとげた(表132)。福井県の場合、農家総所得は、一九六〇年(昭和三五)の四五万一〇〇〇円から六五年八八万八〇〇〇円そして七〇年一七二万一〇〇〇円へと大幅に増大した。これは主として農外所得の伸びによるもので、農家総所得に占める農業所得の割合は、六〇年の四九・四%から七〇年の二四・四%に減少した。全国的には、農家総所得は、六〇年の四四万九〇〇〇円から七〇年には一五九万一〇〇〇円へと増大し、また農外所得が農業所得を上回るようになったのは六三年以来のことで、農業所得の割合は七〇年には三二%になっている。したがって、福井県は全国より早い時期からの兼業化と、それにともなう所得の伸びがめだって大きいということができる。

表132 農家と勤労者世帯との所得・家計費

表132 農家と勤労者世帯との所得・家計費
 勤労者世帯との比較でみると、福井県の農家の所得総額は六五年ですでに勤労者世帯(福井市)を大きく上回っていた。また、家計費総額も六五年で勤労者世帯を上回り、世帯員一人あたりの家計費(含む可処分所得)でも、七〇年には勤労者世帯を上回ることになった。全国的には、一人あたりの家計費が勤労者世帯を上回ったのは七二年以来のことであるから、この点でも福井県は全国に先行している。
 このような家計費の伸びによって、福井県の農家の消費水準は確実に上昇し、また消費生活の内容も変化した。たとえば、飲食費に占める生産現物の割合(自給率)が、六〇年の五九%から、六五年の五〇%、七〇年の四一%へと減少したことに表われているように、農家の食生活も、自家生産された米や一部の野菜に加えて、都市世帯を中心に六〇年代に急速に普及した肉・卵・乳製品などを取り入れたものに変化した。また、当時「三種の神器」と呼ばれたテレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫など、電化製品や耐久消費財の普及も進み、たとえば六七年時点の農家普及率では、テレビ九八・二%、電気洗濯機七七・九%、電気冷蔵庫四八・九%、乗用車一三・五%という状況になった。
 ところで、こうした所得の伸びと消費水準の上昇を支えたものとして指摘しておかなければならないのは、兼業を軸にした福井県の農家の「一家総働き」ともいうべき状態である。表132にみるように、福井県の農家の世帯員数は六〇年代を通じて約〇・五人減少したが、就業者数は三・一五人から三・二八人へと逆にわずかながら増加しており、ほぼ変化のない勤労者世帯と比べて対照的である。また就業者一人あたりの収入でみると、六〇年代を通じて勤労者世帯の六割程度にとどまっている(七〇年代でもほぼ同様)。これらは、福井県の農家が、自家労働力を農業部門と兼業部門に振り分けフルに稼働させることによって、はじめて勤労者世帯を上回る所得を得て、消費水準の確保をはかっていたことを物語っているのである。



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