第二次世界大戦後の福井県の林業は、戦時中の乱伐による荒廃を背負って再出発した。戦・震災復興期にはさらに用材を増伐したため、薪炭が主要林産物とならざるを得なかった。主要林産物の地位は薪炭が占めるようになった。福井県が一九五六年(昭和三一)一二月に策定した「福井県経済振興五か年計画案」によると、五四年現在の福井県の林野面積は約三二万町歩で総面積の七五%を占め、全国比率(六七%)を上回っている。その内訳は用材林面積が七万五〇〇〇町歩で全林野面積の二四%、薪炭林面積が二一万八〇〇〇町歩で七六%を占め、全国の薪炭林面積三六%をはるかに上回っている。これは福井県の林業経営が粗放で造林が低調であることを示している。用材林、薪炭林面積を郡市別にみると小浜・勝山・敦賀各市と大飯・三方・南条各郡は薪炭林面積が八〇%以上、用材林面積がいちばん多い大野市でも薪炭林面積は六四%にのぼり、戦後の林業が製炭に片寄っていたことを示している。
表133は木炭生産量の推移を示したものである。四八年度ころから生産量は伸びはじめ、増産割当を強制されていた第二次世界大戦期なみの高い水準を五九年度まで維持している。ことに五一、五六、五七の各年度は戦時中のピークであった三〇〇万俵台を突破している。五〇年度から五五年度の県外移出量は愛知・神奈川・東京を中心に生産量の約三五%から四〇%にのぼっている。また薪炭材も用材林と同じく生長量を上回る過伐の現状にあり、しかも原木は奥地に移行したため五五年に早くも原木の不足をきたしていることが指摘されている(『福井県経済振興五カ年計画案』)。製炭の担い手は保有林〇・五町歩未満の零細な兼業林業家で、『県統計書』によると五六年の従事者は約一万人である。現金収入を得るため製炭に励み、木炭生産県を底辺で支えていた。 |