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 第五章 転換期の福井県
   第二節 県民生活の変容
    三 深刻化する公害問題
      敦賀湾PCB汚染
 PCB(ポリ塩化ビフェニール)は絶縁油、触媒、感圧複写紙などに広く用いられたが、一九六八年(昭和四三)のカネミ油症事件以来、有害な汚染物質として、その人体への影響が社会的に注目されるようになった。その後、母乳から高濃度のPCBが検出されるにいたり、七二年三月、通産省はPCBの工場での使用禁止を通達した。
 県ではこれをうけて五月から食品や母乳、水道水などの検査、およびPCB使用工場の工場廃水の水質と底土の調査を開始した。この結果、東洋紡績敦賀工場と福井市の日華化学工業の工場内の底土からそれぞれ一六〇〇ppm、一五〇〇ppmという高濃度のPCBが検出された。また一二月の通産省の調査では、東洋紡の工場外の底土から六五〇ppm、また湾内のスズキから最高四ppm、平均二ppmのPCBが検出された。県ではただちに同工場に対してPCBを含む汚泥の回収を命じたが、翌七三年四月に水産庁の委託により実施された調査で湾内の九魚種から、国の暫定的規制値三ppmを上回るPCBが検出された。とくに敦賀港内の汚染はひどく、港内のボラは国内最高の一一〇ppmという値を示した。当初、県はこのデータを伏せて善後策を講じたが、マスコミの関知するところとなり、五月三一日県庁内にPCB汚染対策連絡会議を設置し、六月一日データを公表して湾内のスズキの売買を停止した。
 この事実の公表は、敦賀市にとどまらず県下一円の漁業関係者・観光業者に大きな衝撃をあたえた。県産の鮮魚の価格が値崩れをおこし、また民宿や釣り舟の予約のキャンセルが続出する事態となったのである。さらに東洋紡の従業員にPCB中毒患者が発生していることも明るみにでた。
 東洋紡ではPCBを含有するカネクロール四〇〇の使用を中止するとともに、汚染魚の回収につとめ、翌七四年五月に終了するまで約二万一〇〇〇匹を回収し、工場内の水槽にコンクリート詰めにして処分した。また漁業補償交渉もただちに進められ、七月に敦賀市漁協をのぞく県内三五漁協に対して六億円、敦賀市魚商組合に対して一億円、また八月に敦賀市漁協に対して迷惑料四〇〇〇万円を含む総額一億六〇〇〇万円を支払うことで妥結した。被害漁業者に対しては国および県単独の緊急融資制度措置もとられた。七四年一一月、敦賀港内をのぞく敦賀湾の魚介類について安全宣言が発せられ、スズキの流通規制も一年五か月ぶりに解除となったが、港内の魚介類の喫食規制はなお継続された。湾内の全魚介類に安全宣言が出されたのは七九年四月であった。
 一方、七三年七月には勝山市の北陸製薬より、六九年末に同社猪野口工場のゴミ捨て場にPCB三〇〇キログラムを投棄処分した旨の報告をうけた。県では周辺の土壤および水質の調査を進め、土壤より最高六三〇〇ppm、溜め水より〇・九ppmのPCBが検出されたので、コンクリートによる汚染土壤の封じ込めを命じた(『朝日新聞』72・3・17、19、12・22、73・7・13、9・11、『福井新聞』72・4・10、73・2・13、6・2、74・11・8、『読売新聞』72・6・22、73・6・7、17、『サンケイ新聞』72・12・23、『中日新聞』73・6・6、20、7・12、74・5・22、福井県『公害白書』七三年度版)。



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