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 第五章 転換期の福井県
   第二節 県民生活の変容
    三 深刻化する公害問題
      北電福井火力発電所建設
 このようにさまざまな被害が目の当たりとなるなかで、県民の注目の的となったのは、一九六九年(昭和四四)九月に県議会にマスタープランが提出された福井臨海工業地帯の造成計画であった。この計画では火力発電所、アルミ製錬・加工、石油化学などの企業誘致をめざしており、これらの工場の排出する亜硫酸ガスやフッ素化合物などによる大気汚染を懸念する県民や地元住民の声が高まった。
 六九年一二月、北陸電力の火力発電所(出力三五万キロワット)建設が電源開発調整審議会で認可され、県は北電との間で公害防止協定締結交渉を開始した。県が硫黄分二%以下の重油の使用、一五〇メートルの高煙突の敷設、および最新式の集塵装置の設置を求めたのに対して、北電側は二%前後の重油の使用、一三〇メートルの煙突の敷設を主張したが、結局県の意向がとおるかたちで七〇年九月一〇日、県、三国町、北電の三者による公害防止協定および覚書が正式調印された。
 しかし、この協定は内容が抽象的であり、また住民側からの監視体制が明記されないなど、検討すべき課題の多い協定であった。さらに、覚書により実質一・七%以下の硫黄分の重油使用が約束されたが、そのさい、「目標燃料を確保することが困難な場合は含有硫黄分一・九九%を限度として両者が協議」するという了解事項が取りつけられたが、県はこれを公表しなかった。県議会の追及によりこの了解はただちに破棄されたが、県の企業寄りの姿勢や秘密主義に対する非難の声がいっきょに噴きだすことになった。
 一一月には三国町にさきにみた三国町住民公害反対同盟が町をあげての組織として結成され、公害防止協定改訂運動をおこす一方、「公害行政の改善と県公害防止条例の改正」を要求して、新日本婦人の会県本部など七団体により福井県公害対策協議会が結成された。同協議会の席上では、協定締結のさいに県が発表した亜硫酸ガスの最大着地濃度の数値が北電の計算をうのみにしたものであることが指摘された。一方、県が日本気象協会に委託して行った局地気象調査で、上空のごく低いところに逆転層が生じやすくなっているため大気が汚染された場合にその拡散が悪くなることが判明した。
 こうした県民の反対の動きや不安を裏づけるデータの公表をうけて、県は公害発生が予測されるマスタープランの見直しに着手し、七二年二月、石油化学をはずし、アルミ製錬・加工を中核とし工場生産住宅とその関連事業を誘致するという内容改定案を県議会に提出した。また、九月、福井火力発電所一号機に関する公害防止協定の細目協定が、県、三国町、北電の間で締結され、使用燃料の硫黄分を七二年度を一・七%以下にして次年度以降さらに低減をめざすこと、および県・町の立入り調査権限、協定違反時の停止指示が明記され、排煙脱硫装置の取付けが約束された。
 しかし、火力発電所の増設とアルミ製錬工場の誘致が明らかになり、住民の公害に対する監視の姿勢はさらにきびしいものとなった。すでに七一年一一月には三国町に「公害から三国町を守る会」が結成され、多様な形態で反対運動を展開していた。また七二年五月には真宗大谷派福井教区第一〇組が火電増設反対を教区に訴えたり、六月には坂井郡の教員らが自発的な勉強会をはじめるなど、反対運動はひろがりをみせた。九月には県下の住民組織二〇団体が集まり、「生命と暮らしと自然を守る」福井県住民組織連合会が結成された(表126)。また自治体の間でも結束して公害監視にあたる動きが現われ、七二年四月、坂井郡六町により坂井郡公害対策協議会が結成された(『読売新聞』70・3・8、『福井新聞』70・9・11、10・9、27、11・22、71・10・31、72・4・11、6・9、9・11、12、『朝日新聞』70・12・18、71・1・30、72・5・31、『サンケイ新聞』71・2・19、『県議会史』6)。

表126 福井県住民組織連合会参加団体

表126 福井県住民組織連合会参加団体



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