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 第五章 転換期の福井県
   第二節 県民生活の変容
    三 深刻化する公害問題
      ひろがる各種の被害
 一九七〇年(昭和四五)は全国的に公害問題が噴出した年であったが、この年を契機として福井県でもさまざまな被害が持ち上がった。
 まず大気汚染の被害が大きかったのは、敦賀市白銀町周辺と福井市みのり周辺であった。前者は、市内のセメント工場、製錬工場、紡績工場から排出される粉じん、亜硫酸ガスを原因とするもので、七〇年六月には住民が「白銀地区公害対策委員会」を設立し、市長に公開質問状を出すとともに独自に健康調査に取り組み、健康調査では七割の住民がのどや胸の異常を訴えていることがわかった。後者は、二秒に一台通過するといわれるほどの自動車通行量のため、高濃度の一酸化炭素や鉛が検出され、光化学スモッグとみられる被害も現われた。また車の騒音・振動・粉じんもひどく、住民のなかにはやむなく転居する者も出た。行政の対応は鈍く、ようやく七一年一二月に福井市が実施した健康調査では、表125のように七人に一人が要注意者として精密検診をうける必要があることがわかった。このほか、武生市、勝山市、大野市でも市内の工場のばい煙による被害がみられた(『読売新聞』70・4・24、『毎日新聞』70・5・26、『朝日新聞』70・5・28、6・11、10・30、『中日新聞』70・6・6、8・8、71・10・25、『福井新聞』70・6・18、25、8・8、14、9・23、71・12・12)。

表125 福井市大気汚染アンケート調査

表125 福井市大気汚染アンケート調査
 水質汚濁では、染色・製紙・砕石・セメント・メッキ工場などの廃液による被害が、日野川や北川、敦賀市・武生市・大野市・今立町などの河川で発生した。また各自治体の運営するし尿・下水処理場の終末処理設備の不備から基準をこえる汚水が放出されたため、日野川、足羽川、小浜湾などで著しい汚濁やヘドロの堆積がみられた(『福井新聞』70・6・22、9・18、71・5・23、7・1、8・9、『中日新聞』70・8・29、『朝日新聞』70・9・9、『サンケイ新聞』71・10・6、『読売新聞』71・9・19、10・10)。
 騒音問題も大きくクローズアップされた。織物業者では二部制・三部制の導入により深夜操業を行うところがふえ、住民の苦情が殺到したが、都市部の機業は小規模なものが多く改善への取組みは遅々として進まなかった。またスナックやボウリング場など、住宅地域に隣接した娯楽場の深夜営業も、住民との摩擦を引き起こした。自動車や飛行機の発着による騒音は県下の小・中学校で授業に支障をきたした。ごみ処理場や食品加工場における悪臭も問題となった。また工場による地下水の汲上げは、地下水位の低下を招き福井市・敦賀市・大野市などで生活用水の確保をめぐる問題を引き起こすとともに、福井市橋南地区では地盤低下の現象も現われた(『福井新聞』70・4・9、6・19、71・2・18、75・7・19、『朝日新聞』70・6・18、9・12、19、10・24、『中日新聞』70・6・19、『読売新聞』70・6・15、75・9・11、『日本経済新聞』71・8・25)。



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