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 第五章 転換期の福井県
   第一節 「夜明け前県政」と産業基盤整備
    二 産業基盤整備の進展
      総合開発計画の改訂
 総合開発計画は発表されたその年から改訂の必要が語られはじめた。国の総合開発に関する諸法、諸計画が明らかになってきて広域提携の姿がはっきりしてきたことや、予想を上回るペースで経済成長が進んだため、それらの諸計画が県総合開発計画の前提となった所得倍増計画よりも高い達成目標に修正されているので、数字をかなり上方修正しなければ実態にあわないことが明らかとなってきたからである。実際に、計画の初年度実績は生産県民所得でみて基準年次の四五%増を示しており、目標成長率をはるかに上回る一三・二%というものであった(『朝日新聞』63・3・21)。
 北知事は再選直後の六三年七月一五日、総合開発計画の改訂につき県総合開発審議会に対する諮問を行い(『北陸中日新聞』63・7・16)、審議会は翌六四年三月二四日、答申を行った(『福井新聞』63・9・4、10・15、64・2・1、3・25)。この改訂計画では、北陸、近畿、中部という三つの広域ブロックとの関係について、「近畿地方の一員として強力な提携をはかるほか、中京方面への接触、共通基盤にたつ北陸との共同、隣県提携」などを進めるとして、関西経済圏への接近が福井県を「北陸開発の戦略基地」とする鍵とみなしていた。ちなみに、このような連携の重視は、つぎの中川知事のもとでも継続されている。また、六八年の国体招致がほぼ決まっているので、それまでに競技施設や道路・通信網などを整備しなければならず、この年度を中間点とし、ここへむけて開発を前倒しし、計画の早期達成をめざすとされた。



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