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 第五章 転換期の福井県
   第一節 「夜明け前県政」と産業基盤整備
    二 産業基盤整備の進展
      拠点開発方式と福井県
 一九五〇年(昭和二五)の国土総合開発法による特定地域開発方式に代わって、六〇年代の地域開発計画では拠点開発方式と呼ばれるものがとられている。これは、六〇年に所得倍増計画につき諮問をうけていた経済審議会の産業立地小委員会がこの方式の採用を提唱したことから定着することとなった。六二年秋に閣議決定される全国総合開発計画は、全国土を過密調整地域、中央部整備地域(北陸はこれに属する)、地方開発地域に三区分し、過密調整地域以外のところに大・中・小規模の開発拠点を設けるというものであった。この計画は、国土総合開発法制定以来一二年たってはじめて策定されたということもあり「総合開発の憲法」として全国の期待を集めたものであったが、それ自体になんの強制力もなく、具体的な開発拠点がそれによって示されたわけでもなかった。特別の財政措置を期待できる拠点の指定は、さまざまの法や事業計画にまたがって実施されることになったのである。
 地域開発につきまとう重大な論点の一つに、効率的な重点投資を求める経済合理性の要請と、財政投資の地域的平準化、あるいはより進んで、積極的な地域的格差是正策を求める政治的要請の対立がある。拠点開発方式による開発のうえでは、この対立は開発拠点の総数や地区指定のうえにみることができる。六二年の全国総合開発計画も、結局「抽象度の高い理念と構想の作文」となったのは、「こうする以外にまとめようがなかった」という関係者の述懐にみられるように、開発拠点に関する具体的記述にふみ込んだが最後、この対立からまとめようがなくなるからである(西尾勝「過疎と過密の政治行政」日本政治学会『五五年体制の形成と崩壊』、『中日新聞』62・5・31)。
 この中央の計画作成者と地方の政治アクターの間の対立に加えて、中央の省庁間の対立がさらに構図を複雑なものにする。福井県総合開発計画にもふれられているが、自治省は産業のみならず政治・文化の中心でもある基幹都市を建設しようとする「地方開発基幹都市構想」を、建設省は工業開発拠点となる地方都市建設と大都市圏における再開発等を含む「広域都市建設計画」を、通産省は「工業適正配置計画」や「低開発地域工業開発促進構想」を発表していた。「総合開発」を専管する官庁がない以上、各省はそれを自ら管掌する政策に引き寄せて解釈するだろうし、計画が理念と構想の作文であれば、それにあわせた事業計画は各省内で立てられていくことになる。「新産業都市建設促進法」はそうした各省間の事業を整理し、開発拠点を明瞭にすることを企図したものであったが、最終的には経企・建設・自治・通産・運輸・農林・労働の七省庁共同所管となった。また、新産業都市指定は一〇か所程度とするとしていたにもかかわらず、激しい陳情合戦の末、一三か所が指定され、さらに工業整備特別地域が新産業都市指定から漏れた地域のために設けられて六か所が指定をうけ、のちに議員立法による「工業整備特別地域整備促進法」が制定された。これとは別に「低開発地域工業開発促進法」が制定され、全国の九六か所が同法による指定地区となった。開発拠点を絞りきれなかったことで、指定された個々の拠点に対する投資や政策的手当は薄められ、計画の実効性は薄らいでいったのである。経企庁の「計画」の発想は地方の政治的要求と省庁間の権限争いの前に敗れさったといえる。
 結局、六〇年代の地域開発を実施局面からみれば、上述の三法および各省の道路、港湾、工業用水道、上下水道、空港、公営住宅等の整備に関して次々と策定された五か年あるいは一〇か年計画により、個別的に工業化促進のための基盤整備が進められたということになる。「抽象度の高い理念と構想の作文」としての全国開発計画を共有しつつ、広域圏開発法制を各地がそれぞれもち(「中部圏開発整備法」によりすべての地域が何らかのものにカバーされた)、具体的には個別省庁の事業が実施されたという構図である。福井県に関していえば、さきに述べたとおり北陸地方開発促進法があったが、六三年に近畿圏整備法、六六年に中部圏開発整備法が制定されるにおよんで、全国でも珍しい三つの広域開発法によってカバーされる県となり、それぞれの法による種々の開発地区指定をうけるべく奔走することになった。
 福井県は新産業都市については従来より自治省の基幹都市構想にあわせて計画を練っていた福井・鯖江・武生の三市の内陸型工業団地整備の計画に、三里浜に臨海工業団地をつくって重化学工業を誘致し、北陸縦貫自動車道などで京阪神につなぐという計画をあわせ、三市と周辺一七町村による新産業都市構想をもって指定をうけるべく陳情を行ったが、新産業都市はもちろん、同時に指定された工業整備特別地域にも選ばれなかった。県では標的を近畿圏整備法に切り替え、福井・鯖江・武生の同法による指定に成功した。同法による指定は敦賀市もうけている。
 また、武生・大野・小浜の三市が低開発地域工業開発促進法の地区指定を六二年にうけた。また、新産業都市申請のさいに福井市等とあわせて指定をうけるべく計画したが指定に漏れ、つづく近畿圏整備法の開発地区指定からもはずされた坂井地区については、六三年の低開発地域工業開発促進法の第二次指定をうけた。武生市は趣旨のやや異なる二つの法の開発拠点の指定をうけることとなったので、低開発地域工業開発促進法の指定取消しを申請した(『毎日新聞』65・5・10)。



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