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 第四章 高度産業社会への胎動
   第二節 地域振興と県民生活
     二 道路・鉄道の改良と河川改修
      九頭竜川の再改修
 九頭竜川は延長一一六キロメートルで、水系全体の流域面積は三〇〇〇平方キロメートルにおよび、福井県の面積の七割を占める。一九二四年(大正一三)に改修工事が完成した後、大きな被害はなかったが、四八年(昭和二三)六月の福井震災で堤防などに被害をうけ、さらに翌月の集中豪雨により堤防決壊などの大被害をうけた。復旧工事は国の直轄工事として行われ、五三年には完成をみた。しかし、工事は原形復旧に重点がおかれ、工事区域が下流域に限定されたこと、戦中戦後の乱伐による上流山地の荒廃による土砂の流出、堆積についての対策が講じられなかったことなどにより、震災復旧がようやく完成した五三年九月に襲った台風一三号は日野川流域に豪雨をもたらし、福井市三郎丸地係の日野川堤防が決壊するなどの被害をうけた。このような状況に対応して、五五年一〇月には県議会において決議がなされるなど、再改修の要望が高まった。その結果、従来の計画高水流量を改訂し(表104)、五六年より建設省の直轄工事として九頭竜川再改修工事が着工された。工事は浚渫工事が中心で、区域は福井市高屋町地係の日野川合流点から下流の九頭竜川と、その合流部から上流清水町朝宮地係までの日野川で行われた。浚渫の土砂は地盤沈下対策と、客土による乾田化工事に利用され、七一年までの一五年間に掘削量は約五〇〇万立方メートルにおよんだ。

表104 九頭竜川水系の計画高水流量

表104 九頭竜川水系の計画高水流量
 その後、五九年の伊勢湾台風や六一年の第二室戸台風など、あいつぐ大洪水に見舞われ、とくに、伊勢湾台風では、九頭竜川本流中角地点で、計画高水流量をはるかに上回る毎秒四七〇〇立方メートルの流量を記録した。このため、六〇年、上流部のダム建設による洪水調節を含んだ流量改訂が行われ、六二年策定の電源開発基本計画には、長野ダム(のちに九頭竜ダムと改称)による洪水調節が盛り込まれた。
 六四年には新「河川法」が制定され、河川は水系ごとに一級、二級などとランクづけされ、一級河川は建設大臣が直接管理することとなり、六六年には九頭竜川水系が一級河川の指定をうけ、同年七月には従来の計画を踏襲した九頭竜川水系工事実施基本計画が策定された。しかし、すでに六五年の「四〇・九風水害」により大被害をうけたことから、計画の再検討の必要に迫られており、六八年には真名川ダムなどの建設を含めた基本計画の改訂が行われた。その後、七二年の台風二〇号および七五年の台風六号による出水は、とくに足羽川で計画高水流量を上回る大洪水となり、基本計画の再改訂が必要とされた。このため、基準地点中角における基本高水流量を毎秒八六〇〇立方メートルとし、上流ダム群により毎秒三一〇〇立方メートルを調整して、計画高水流量を毎秒五五〇〇立方メートルとする現計画が、七九年に策定された。
 つぎに、これら基本計画にもとづき施工された改修工事のおもなものについて記述する。九頭竜川の中流、松岡町五領ケ島地区の分流(裏川)締切工事は、五九、六〇年と連続した被害を契機に、六〇年度より災害助成事業として県の手で進められ、六八年、上流の九頭竜ダムの完成を待って裏川の締切が行われた。廃川敷地は県開発公社に売却され、総合グリーンセンター、福井医科大学、県立大学などの敷地として利用されている。
 福井市街地より下流の足羽川湾曲部については、すでに一九〇〇年(明治三三)の第一次改修計画に、明里地区と水越地区にそれぞれ放水路新設が立案され、舟運の関係から、洪水分流を目的に新水路が新設されていた。福井大震災による九頭竜川災害復旧工事で、明里地区の放水路を本流とする改修工事が行われ、五〇年(昭和二五)には水越地区の放水路の本川化工事も県の委託により建設省の直轄工事として進められた。この工事は五一年に県の中小河川足羽川改修工事に組み込まれて継続し、六三年に荒川水門改築を含む一連のつけ替え工事が竣工した。旧河川敷は狐川の合流点までが六四年五月公用廃止されて住宅地となり、それより下流については狐川の水路として利用されている。
 本川筋の改修とともに、中小支川の内水排除事業が進められ、七七年には磯部川排水機場、七八年に片川排水機場が完成し、戦前から進められていた江端川については、八六年江端川第一排水機場にポンプが増設され、八八年には同第二排水機場の改築が行われた。
 日野川の九頭竜川合流点から足羽川合流点までの区間は、川幅が狭く、また、九頭竜川本流と直角に合流することや、本流に比べ傾斜が緩やかなことなどから、たびたび警戒水位をこえる洪水が発生している。このため、建設省は川幅が狭くかつ蛇行の著しい安竹、三郎丸、大安寺、深谷、下市の五地区を対象に、堤防を現在の位置から引き下げて川幅を広げる引堤工事を計画、まず安竹地区で七八年着手して八七年に完成し、ついで八四年より三郎丸地区、九〇年(平成二)より大安寺地区の工事に着手している(『九頭竜川』)。
 なお、八八年三月の時点で、一級河川には九頭竜川水系の九七河川、二級河川には笙ノ川・北川・南川など三六河川が指定されていたが、七一年一月には北川水系が一級河川に指定された。北川は、二六年(昭和元)より内務省によって、北川と南川の分離を含む第一次改修が行われ、三五年に完成した。その後、五三年の台風一三号による大被害をうけたため、県による災害復旧土木助成事業として、基準点の小浜市高塚における計画高水流量を従来の毎秒九〇〇立方メートルから一四五〇立方メートルとする第二次改修が行われた。
 この工事は、霞堤の築堤と河床掘削を主とするもので五九年に完成した。その後、一級河川指定により流量の改訂を行い、霞堤を締め切り、計画高水流量を毎秒一九〇〇立方メートルとする計画にもとづき、築堤、護岸などの建設省直轄工事が実施されている。



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