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 第四章 高度産業社会への胎動
   第二節 地域振興と県民生活
    一 産業振興と水資源開発
      その他の水資源開発計画
 一九五一年(昭和二六)の九頭竜川総合開発計画にもとづき、九頭竜川水系では、真名川のほかに石徹白川(大野郡和泉村後野)・九頭竜川本川(和泉村下山)・足羽川(今立郡池田村河内)でダム建設の調査が行われたほか、竹田川、伊勢川、嶺南の黒河川、南川などで水資源開発の検討が行われた(『福井県経済振興五カ年計画案』)。そして、真名川総合開発が一段落すると、第二次総合開発事業としてこれらの調査が本格化し、各河川流域の住民もダム建設に名乗りをあげるケースが増加した。
 第二次総合開発として最初に注目されたのは、敦賀市の黒河ダム建設であった。県は五七年八月に潅漑・治水・発電の総事業費一〇億六〇〇〇万円の計画を立て建設省に予算要求したが不採択に終わった。県では嶺南総合開発としてあらたに南川上流の久田川(遠敷郡名田庄村)での電源開発を検討したが、結局これも実現をみず、嶺南のダム建設は二〇〇三年竣工予定の河内川ダム(仮称、遠敷郡上中町熊川)が最初のものとなる(『福井新聞』57・8・30、9・20、12・22、58・1・16)。
 また五七年から五九年には、嶺北の各河川でダム建設計画が持ち上がった。五七年には志津川上流(丹生郡清水町滝波)に発電ダム建設の陳情運動がおこり、池田村では足羽川志津原上流の鯉ケ谷のダム建設を求めて足羽川ダム建設期成同盟会が結成された。また県では竹田川上流のダム建設候補地の調査に着手した。五八年には滝波川上流の勝山市北谷町小原にダムを建設し発電事業を行う計画が持ち上がり六〇年に県営発電事業計画へと発展した。また五九年には南条郡今庄町の新町建設計画に、日野川上流の広野に多目的ダム建設計画が盛り込まれた(『福井新聞』57・8・11、11・24、58・2・6、11、3・30、59・8・28、60・3・1、5・28)。これらのダムは、足羽川をのぞき、滝波ダム(潅漑、八七年竣工)、山口ダム(治水・潅漑・上水道・発電、八九年竣工、のち龍ケ鼻ダムと改称)、小原ダム(発電・砂防、六五年竣工)、広野ダム(治水・潅漑・工業用水、七五年竣工)として、のちに実現をみた。
 一方、九頭竜川本川のダム建設については、五七年から北陸電力と電源開発の競願のかたちで事業計画が進行したが、電源開発案には足羽川上流の足羽郡美山村におけるダム建設計画が組み込まれていた(第五章第一節二)。これに対して五八年四月、美山村議会は緊急全員協議会を開き、美山村電源開発対策委員会を設置するとともに、電源開発絶対反対の態度を決めた(『福井新聞』57・10・3、58・4・16)。これが現在も問題となっている足羽川ダム建設問題の発端である。



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