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 第四章 高度産業社会への胎動
   第二節 地域振興と県民生活
     二 道路・鉄道の改良と河川改修
      道路法の改正と県道の再編
 一九五二年(昭和二七)六月、経済復興と自動車輸送の進展に対処するため、新「道路法」が公布され、同年一二月施行された。これにより、一九一九年(大正八)制定の旧道路法にもとづく、師団司令部・鎮守府等を連絡するという軍事的な色彩の幹線道路網にかわって、一、二級国道によって都道府県庁所在地や、その他政治・経済・文化上とくに重要な都市を連絡する全国的な幹線道路網を形成し、さらに、都道府県道、市町村道により、これを補完することとなった。一、二級国道の管理は当該都道府県が行い、新築・改築について、県の施工が困難または不適当な場合は、建設大臣が自ら行うこととし、その費用は、国が行う場合三分の二、都道府県が行う場合は二分の一の国庫負担とされた。また、都道府県道、市町村道の管理は、当該の都道府県、市町村が行うが、とくに建設大臣の指定する道路(主要地方道)については、新築・改築費用の二分の一以内の国庫補助が行われることとなった。これにともない、同年同月一級国道四三路線が指定され、福井県では、従来の国道一二号線と三五号線がそれぞれ八号線と二七号線に指定された。つづいて翌五三年五月、一五〇の二級国道が指定され、福井県では金沢岐阜線(一五七号)、福井松本線(一五八号)、敦賀大津線(一六一号)、京都小浜線(一六二号)の四路線が指定された。さらに、五四年一月には主要地方道が指定され、県では、福井大聖寺線など二一路線が指定された(図45)。
図45 県道再編による道路網(1960年7月)

図45 県道再編による道路網(1960年7月)

 旧道路法により認定された県道は、当時一八四路線を数えたが、他の路線を共用しているものが多く、路線名も錯綜して実態に適合しないものが多くなっていた。新道路法の施行とともに、あらたな認定基準に適合させ、かつ、実態に即した路線に整理統合するため、路線の変更、統合、廃止等による再編成が必要となり、県は、五四年七月、建設省より県道認定の具体的な基準が通達されたのにもとづき、再編成の事務にとりかかった。しかし、町村合併の進行と重なって、認定基準の適用が困難となったこともあり作業は難航、六〇年六月にようやく建設大臣の認可を得、七月一日告示された。あらたに六路線を加えて一五六路線に再編され、路線で二八減少したものの、延長では一二キロメートルの減少にとどまり、国道、主要地方道による道路網を補完して、以後の道路行政の枠組みとなる道路網を形成することとなった。



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