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 第四章 高度産業社会への胎動
   第一節 県政と行財政整備
    二 財政危機と中央依存行財政の確立
      補助金行政と陳情政治
 さきに述べたように、地方財政の自立性を強調したシャウプ勧告にもかかわらず、一九五〇年代の地方財政に進行した事態は、補助金、交付税・譲与税、公債金など中央財源への依存の強化であった。ここでは県財政における国庫補助の推移について、図44よりみてみよう。
図44 国庫支出金(1949〜64年度)

図44 国庫支出金(1949〜64年度)

 まず産業経済費支出金は、その圧倒的な部分が農林水産関連の補助金である。シャウプ勧告による補助金整理の流れをとめるきっかけとなったのは、一九五一年(昭和二六)三月の「積雪寒冷単作地帯振興臨時措置法」の成立による団体営土地改良事業への補助金復活といわれる。これ以降、広川弘禅農相のもとで地方の陳情者むけに各種零細補助金を広くばらまく方式の農政が展開されたが、福井県においても農地乾田化が小幡県政の旗印とされたこともあり、五〇年代初頭の補助金に占める産業経済費の比率は約四割となっていた。しかしながら、財政再建期には零細補助金の削減がはかられ、また農協の余裕金の蓄積とともに制度融資の活用に力点がおかれるようになり、五〇年代後半にはひとまず農林水産関連の補助金の伸びは頭打ちとなった(加藤一郎・阪本楠彦『日本農政の展開過程』)。
 これに代わって首位に踊り出て六〇年代初頭には過半を占めるようになったのが、土木費支出金である。戦後の災害復旧事業の連続に加えて、建設省および衆議院建設委員会が多目的ダム建設を梃子に水資源開発の主導権を握ったことから、農業補助金と同様に五〇年代前半には陳情利用方式による河川・港湾・砂防関連を中心とする補助金が増加をみた。さらに、五〇年代後半からは土木事業の力点が産業基盤整備、とりわけ道路の新設・改良におかれることになり、公共土木関連の国の直轄事業および補助事業が急増したのである。また教育費支出金は、その大半が義務教育費の国庫負担によるものであり、図44で五二年の数字がゼロに近くなっているのは、この時期はこれが平衡交付金に算入されていたからである。
 こうした中央依存行財政の確立は、いわゆる「地方自治」の実情にも大きな影響をあたえた。ここでは市町村政の現場について簡単にふれておこう。
 まず、市町村の理事者にとって、補助金の獲得により行政水準を引き上げることが最大の課題であった。とりわけ福井県では災害があいついだために、その復旧が理事者の政治的手腕の見せどころとなり、理事者は足しげく東京へ通う陳情家となった。一方、議員は、どれだけ事業を選出母体となる地域にもたらすかによって住民によりその政治的力量をはかられることになる。予算書をまともに読める議員は数少ないといわれる状況のなかで、議会における予算審議とは具体的な予算のぶん取りの場を意味していた。そして、県下の多くの市町村では、理事者が予算案を提出する前に内示会を開き、あらかじめ議員間の意見調整を行い、本議会では満場一致で予算案が承認されることが当然視される状況となっていた(『福井新聞』57・5・3、11)。結局、理事者が中央の事業・財源を獲得し、これを適宜分配することにより、議員間の勢力均衡をはかりつつ自らの地位を固めていくことが、地方政治の日常とみなされるようになったのである。



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