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 第三章 占領と戦後改革
   第四節 戦後教育改革
    二 教育行政の民主化
      教育長の任用
 難産の末にようやく誕生した地教委に対し、その教育長の任用については、教育委員会法により免許資格が必要とされていた。しかし、暫定的に文部大臣主催の講習会(Institute for Educational Leaders:IFEL)受講修了者、あるいは教員一級免許状所有者、五年以上の教育事務経験者に教育長資格を授与する方法がとられた。軍政部も教育委員会発足当時から教育長の人選には大きな関心を寄せており、委員会の運営に関して一般行政からの独立を求めていた。なおこの傾向は、第一軍団下の軍政部に強かったようである(福井県中学校長会編『福井県中学校長会三十周年記念講演集』、「月例報告書」)。県は人事の弾力的運用を指示する一方、一九五二年(昭和二七)一一月には地教委の人材難・財政難を理由とした一定期間の事務委託を受け付けた(資12下 一三七、教庶第七九八号)。
 この結果、四市をのぞく県内全町村および中学校組合が、県へ教育事務を委託するにいたった。しかし、当初の委託期間を経ても地教委の整備は進まず、委託期間は次々と延長されていった。五四年六月段階で地教委は総数一五九、うち市教委四・町教委二・村教委一一で県内全市町村に設置されており、その他学校組合二五となっている。しかし、教育長の多くは役場の助役を本務とする兼任の教育長で、職員についても三分の二にあたる地教委は兼務者のみとされる状態であった(『福井県教育委員会報』40)。全国的にみても行政一本化のための委員会任命制や委員会廃止を求める声が高く、福井県でも廃止要求の動きがみられた(資12下 一三八、福第七六号)。地教委存続強化の主張の動き(資12下 一三九)や教育の中立性を求める動きも大勢には抗しえず、五六年「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」の制定で任命制へと移行し、同年一〇月に任命制による県教委が誕生して教職員の任免・人事権を県教委が統括することになった。



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