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 第三章 占領と戦後改革
   第二節 政治・行政の民主化
    三 自治体警察の設置と廃止
      警察機構の整備
 警察制度についてはポツダム宣言、「降伏後ニ於ケル米国ノ初期ノ対日方針(SWNCC150)」などから根本的な改革を求められていたが、内務省はこの改革を急がない方針をとった。陸海軍解体後の治安維持は警察が一手に引き受けざるをえない状況となったので、このうえ警察機構まで弱体化につながるような改革を行ったのでは国内治安の維持に不安を抱かざるをえないとして、総司令部民政局がおし進めようとしていた警察改革に抵抗したのである。総司令部内でもとくに参謀第二部につながる組織で警察改革の原案を作った民間諜報局公安課(Civil Information Section,Public Safety Division: CIS-PSD)自体が、あまりに急進的な改革を性急に進めることに危惧を抱いていたこともあり、こうした内務省の主張は一定の力をもった。日本国憲法の施行にあわせて、「教育基本法」や「地方自治法」がつくられ新憲法の精神を体現する諸制度が整えられていったにもかかわらず、警察制度の改革は遅れ、新警察法の制定が一九四七年(昭和二二)一二月になってしまったのにはこういう事情があった。
 占領軍内でも日本の民主化に主たる関心をおく民政局では、内務省および警察を戦前の反民主的な体制の中枢と考えており、内務省の解体と警察制度改革には占領改革のなかでも重要な位置をあたえていた。これに対して参謀第二部は、急速な民主化を進めることで日本の弱体化を引き起こし結果的に占領そのものが失敗してアメリカの国益を損なうことを恐れていたため、新制度には段階的に移行することを強調しており、改革を性急には進めないという点で内務省側と一致していた。また、固有の警察組織をもつ自治体についても五万人以上の市を想定しており、実際に導入された新警察法下の制度に比べて参謀第二部側の警察改革プランは急進的なものではなかった。このように占領軍当局内部でも警察制度改革については一致した方針がなく、日本側の政治行政上の諸勢力がそれぞれ民政局と参謀第二部に結びついてしばらく綱引きをしていたのである。
 結局、最高司令官が四七年九月一六日付の「マッカーサー書簡」をもって民政局の立場を支持するにいたり、同年一二月には内務省も解体され、ようやく新警察法は四八年三月施行にこぎつけた。これにより、新法施行後九〇日以内に府県と警察をもつことになる自治体には独立行政委員会としての公安委員会を設置しなければならないことになった。自治体警察をもつことになったのは市と人口五〇〇〇人以上の市街的町村である。
 この新警察法をうけて福井県でも県公安委員を選任し、県警察部を国家地方警察福井県本部に改編することとなった。また、県下二市一五町一村に自治体警察署を設置することになった。県公安委員は知事の所轄の下におかれ、知事が県議会の同意を得て任命するものとし、市町村公安委員は各市町村長の所轄下におかれ、各市町村議会の同意を得て市町村長が任命することとされた。それぞれの公安委員は任期三年の地方公務員法上の特別職とされ、公安委員会に対する首長の監督権は、警察行政が公正を期待される見地からとくに独立性が尊重されたため、「所轄」という指揮命令権のない監督にとどめられたのである(資12下 四七)。
 最初の県公安委員は、久保三郎(福井県農業会長)、酒井伊三男(酒伊興業社長)、近松秀子(県連合婦人会副会長)の三名であった。女性公安委員の任命は全国的にみても珍しいものであった。この三名は抽選でそれぞれ三年任期の委員、二年任期の委員、一年任期の委員となり、任期が切れるごとに後任の三年任期の委員に交代していくこととされた。抽選で三年委員となった久保三郎が初代の福井県公安委員長となった(『福井新聞』48・1・30)。
写真54 初代県公安委員

写真54 初代県公安委員

 四八年三月の施行を前に旧警察官吏や装備を国家地方警察と自治体警察に振り分ける作業や、警察署の設置場所をめぐる調整などが行われた。本県では警察法施行に先立つこと一か月前の二月七日に警察官の大幅な人事異動を行い、一〇日以降、新体制の下での訓練に移行した。財政力の乏しい町村が警察業務に加えて消防をも自前でまかなうことや、警察官の職階が国家地方警察と自治体警察の間で落差があること、さらには分権化されて少数の定員しかもたない自治体署の取締り能力などに対する不安を抱えながら、ともあれ三月七日には一八市町村の自治体警察署と、他の郡部を管轄下におく国家地方警察の一四地区警察署が発足にこぎつけた。自治体警察はその自治体を管轄し、自治体警察をもたない郡部町村については国家地方警察が適宜地区署を設けて管轄するという体制をとることになった(資12下 四八、四九、国家地方警察本部告示第一号)。
 財政的にもきびしいなか、準備期間も短く、警察署は基本的には旧来の施設を使うこととなり、その多くの施設で国家地方警察地区署と自治体警察署は同居する、というかたちになっていた。



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