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 第三章 占領と戦後改革
   第二節 政治・行政の民主化
    二 地方行財政機構の改編
      税制改正とシャウプ勧告
 さて、このような地方経費の増大に対する内務省の対応は、地方財源の拡充と地方税の増徴、そして地方財政調整制度の強化であった。地方財政調整制度は一九四〇年(昭和一五)の地方分与税制度の実施により制度的に確立したが、これは道府県に対して域内で徴収される地租・家屋税・営業税の合計額から徴税費を控除して分与される還付税と、総額の六二%を道府県に、残りの三八%を市町村に配付してこれを地方自治体の課税力、財政需要、固有の事情を基準として各自治体に按分する配付税からなっていた。
 四六年九月、四七年三月の二度にわたる税制改正では、増税と地方税の独立化が指向された。ここでは、(1)還付税を廃止し地租・家屋税・営業税を道府県に委譲する、(2)人頭税的性格をもつ市町村民税に準ずる府県民税をあらたに設け、それぞれ納税義務者一人あたり平均賦課制限額を引き上げる、(3)国税であった遊興飲食税・鉱区税を道府県税に移し、また入湯税・軌道税など道府県の法定独立税目をふやすとともに、道府県が許可を得て法定外独立税を設けることを可能にする(四七年七月一日の福井県県税賦課徴収条例を参照すると、独立税の費目は一九種で、うち漁業税・接客婦税・木材取引税が法定外独立税にあたる)、(4)市町村が道府県の独立税目に付加税を課すことを認め、かつ旧来の付加制限率を引き上げる、などの措置がとられた。
 内務省の解体後の四八年一月、地方財政の自立化のための企画立案機関として地方財政委員会が設置された。同委員会の改革案は、大蔵省の強い抵抗により修正を余儀なくされ、七月、新地方税法および「地方配付税法」として成立した。今回の税制改正のおもな内容は、(1)営業税を廃止して農林水産関連の事業をも課税対象とする事業税を創設し、自由業に対しては特別所得税を賦課する、(2)入場税・狩猟免許税を道府県税へ委譲し、また酒消費税・電気ガス税などの税目をあらたに道府県法定独立税とするとともに、現行税目につき増税する、(3)地方分与税の呼称を地方配付税と改め、所得税・法人税から配付税への繰入率を引き上げるとともに、配付税総額の道府県と市町村への配分を折半とする、(4)超過課税、法定外独立税などの許可制を廃止し、地方自治体の自主課税権を強化する、である(藤田武夫『現代日本地方財政史』上)。
 表71(表71 県・市町村の歳入(1935、47〜50年度))により四七年度の歳入からこうした改革の結果をみてみると、県、市町村ともに、戦前と比較して地方税の歳入に占める比率が大幅に低下している。ただし、配付税もあわせると市町村では税収の比率が高まっていることがわかる。他方、県では一連の税制改正が道府県への独立税の拡充に重点をおいていたのにもかかわらず、地方税収入は配付税よりも大きく下回っている。そして県、市町村ではいずれも、さきにみた国政委任事務の激増と国の緊急施策の実施のために国庫支出金(市町村は国県支出金)の割合が顕著な増大を示しており、結局、改革の意図に反して、地方自治体の国庫財源への依存はますます強まったのである。
 四九年九月のシャウプ使節団による税制改革勧告は、直接税中心の税制確立と並ぶもう一つの柱として地方自治体における財政自主権の確立を主張し、(1)中央・地方政府間の行政事務の再配分を行い、地方自治の強化のためには市町村に優先権があたえられるべきこと、(2)地方自治体の新しい責任に照応する独立財源を付与すること、(3)奨励的補助金以外の補助金を整理するとともに、従来の地方配付税にかえて平衡交付金を設けること、(4)自治体の起債に対する中央政府の統制を緩和すること、を勧告した。そして、(1)均等割プラス所得割の住民税を主として市町村財源とすること、(2)地租・家屋税にかわり、土地・家屋・事業用償却資産を対象として資産価格を課税標準とする不動産税(固定資産税)を創設し、これを市町村税とすること、(3)事業税を付加価値税にかえること、(4)入場税・遊興飲食税を府県税とし、その他の独立税の多くを整理もしくは市町村税への移管とすること、を地方税改革の具体案として示した。
 このシャウプ勧告にもとづき、五〇年五月、「地方財政平衡交付金法」が成立し、地方財政調整制度は配付税制度から財政平衡交付金に切り替えられた。この交付金は、基準財政需要額と基準財政収入額から各自治体の交付金額を算定し、その積上げ方式により交付金総額を決定し、不足分は原則として国庫から補填するという内容のものであった。なおこれに先立ち標準市町村を選定し、平衡交付金算定の基礎資料として財政実態調査を行っている(旧内外海村役場文書)。また勧告の精神が盛り込まれた新地方税案は、難航の末、付加価値税実施の二年間延長と事業税・特別所得税の当面の存続、また固定資産税の評価倍率の引下げという修正がなされて七月に成立をみた(佐藤進・宮島洋『戦後税制史』、鈴木武雄・島恭彦『戦後地方財政の展開』)。
 福井県では五〇年九月一日に、入場税・遊興飲食税のみを税目とする福井県税条例が制定されるが、同月二二日、右の二税に自動車税・鉱区税・漁業権税・狩猟者税・特別漁業権税を加えた七税目を普通税とし、五〇、五一の両年度に限り事業税・特別所得税を賦課する旨の県税条例があらたに発令された。表71にみられるように、県・市町村の歳入はほぼシャウプ勧告の所期の目的を達成するものとなった。
 ところでこの時期、県内では県から市町村に対し、勧告の精神の周知徹底をはかる働きかけが頻繁になされている。
 まず五〇年二月には県より町村に対し「昭和二十五年度予算編成方針について」という通達が出され、予算編成のさいに勧告の意図する地方団体の主体性の確立、行政運営の合理化とその責任の帰属の明確化に意を用いることを求めている。また統計業務や民生関係の業務に対する国庫補助も廃止されて平衡交付金に含まれることになったので、その点を配慮した予算編成を心がける通達も多数出されている。さらに、市町村は従来から寄付金や部落協議費により財政補填を行っていたが、こうした慣行について市町村自治体の強化に逆行し、かつ財政平衡交付金制度の趣旨にも反するものとして自粛が求められた(旧小浜町役場文書、旧内外海村役場文書、資12下 九四)。
 もう一つ注目すべき動きは、市町村行政の拡充と財政の自主性確立を求める勧告の精神が、現行町村規模の合理化、すなわち町村合併を推進する動きにつながっていったことである(第四章第一節三)。県は、五〇年一月に「市町村の配置分合について」という通達を発したことを端緒として、九月より新地方自治確立運動の実施に取り組むことになる。五一年四月、小浜町ほか七か村が合併して小浜市が誕生するが、いずれの合併村も共通に貧弱な小町村では財政上自立体制が整わないことを、合併をやむなしとする理由に掲げている(旧小浜町役場文書)。



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