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 第三章 占領と戦後改革
   第一節 占領と県民生活
    三 福井震災
      水害
 一九四八年(昭和二三)七月二四日から二五日にかけて降り続いた豪雨は、県内各河川の増水をまねき、かねてより危惧されていた水害をひきおこした。すなわち決死の堤防補強工事もむなしく、二四日午後には敦賀郡中郷村で笙ノ川堤防が決壊、坂井郡長畝村では竹田川堤防が決壊、のち降雨はやや小康をみたものの、翌二五日午前からふたたび激しさを増し、夕方ついに吉田郡上志比村・西藤島村で九頭竜川左岸堤防が決壊、西藤島から福井市西北部一帯に濁流がおしよせたのである。また右岸からの溢水は坂井平野の八割を泥海と化した。三日間で平野部一三〇ミリ、奥越の山間部で二〇〇ミリをこす豪雨と、さきの震災による堤防の脆弱化が主たる原因であるが、戦中戦後を通じて行われた森林の伐採が、山の保水力を低下させていたことも指摘された。避難命令など事前の対策が功を奏し、さいわい人的被害は比較的軽微であったが、家屋の流失・浸水など全県下での被害戸数は二万八八〇〇戸あまりにものぼった。また仮設が終わったばかりの舟橋・中角橋はふたたび流失した(『福井震災誌』、『福井新聞』48・7・26、27、8・2、3)。
 県は七月三〇日、あらたに「福井県水害対策本部」を設置し、被災者の救助・避難所の設置・炊出しや日用品の配給を行った。とくに、水害後の伝染病の流行に備えて防疫班を出動させ、飲料水や便所の消毒や予防接種を行った。



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